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長井勝一 : ミニ英和和英辞書
長井勝一[ながい かついち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [いち]
  1. (num) one 

長井勝一 : ウィキペディア日本語版
長井勝一[ながい かついち]

長井 勝一(ながい かついち、1921年4月14日 - 1996年1月5日)は、日本編集者実業家である。青林堂の創業者であり、漫画雑誌 『月刊漫画ガロ』の初代編集長。
白土三平水木しげるといった有名作家から、つげ義春花輪和一といった異才までを輩出していった名物編集長として知られている。
== 人物 ==

1921年大正10年)、宮城県塩竈市生まれ。1926年東京南千住に転居し、1939年昭和14年)に早稲田工手学校(現早稲田大学芸術学校)採鉱冶金部を卒業した。
学校卒業後は満州に渡り、満州鉱山や満州航空に勤務した。終戦直前の1945年昭和20年)に内地へ戻り、終戦後は義兄の古書店を手伝う様になった。そんな中、義兄が簡易製本の漫画を売りさばく姿を見た長井は、漫画の出版を志すようになる。
しばらくして「大和書店」を開業し赤本漫画の出版を手掛けるようになる。結核を患った後、特価本卸「足立文庫」を姉と始めるも再び結核を患う。数年後貸本向け出版社「日本漫画社」を設立し、白土三平の漫画の出版中心に活動する。その後半年間浅草でバーの経営をしたのち、更に青林堂の前身となる「三洋社」を友人と設立し、白土三平や水木しげるの作品を世に出してヒットさせた。しかし2年後に三度結核を再発させ解散する。その際に、片肺の切除手術をした影響で声がかすれてしまったが、この声が長井のトレードマークの一つとなってしまう。
1960年代なかばには、貸本漫画が衰退し貸本漫画家の活躍の場が減っていた。「彼らが何の制約もなく活躍出来る場を自分が提供しなければ」と、病気療養中にも関わらず「青林堂」を設立。香田明子が実務を担当しその活動を始めた。白土の作品を中心に単行本を出版し、1964年に白土の連載『カムイ伝』のために『月刊漫画ガロ』を創刊。当初は8千部であったが、漫画マニアはもちろん、全共闘の大学生を中心に人気が出て、最盛期には8万部を超えた。1971年に『カムイ伝』が終了した後は部数が徐々に低迷するが、長井の座右の銘「継続は力なり」をモットーに、新人発掘の場として出版は細々と続けられた。
1990年になり、PCソフト開発会社「ツァイト」に経営を譲渡。その後編集長、社長職を退き会長へ就任。1995年平成7年)、第24回日本漫画家協会賞選考委員特別賞を受賞した。1996年阿佐ヶ谷の自宅にて肺炎で死去。享年74。
1999年1月に故郷塩竈市のふれあいエスプ塩竈内に「長井勝一漫画美術館」が開設され、長井の経歴や『ガロ』の原稿などが展示されている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「長井勝一」の詳細全文を読む




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