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采谷義秋 : ミニ英和和英辞書
采谷義秋[うねたに よしあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
: [あき]
  1. (n-adv) autumn 2. fall 

采谷義秋 : ウィキペディア日本語版
采谷義秋[うねたに よしあき]
采谷 義秋(うねたに よしあき、1944年10月6日〔『ミュンヘンへの道 采谷選手物語』9頁〕 - )は、日本のマラソン選手。"元祖"市民ランナー〔『采谷選手物語』116頁〕〔、我那覇、30分50秒で優勝…青梅マラソン高校男子10キロ(archive) 〕〔特集ワイド:Go!五輪、「先輩」らエール 独力の公務員ランナー・川内選手 毎日jp 〕。
== 経歴・人物 ==

=== 大学卒業まで ===
広島県呉市広長浜生まれ〔。広島電機大学附属高校(現広島国際学院高校機械科卒業。高校2年時の1962年全国高校駅伝では、4区区間賞で全国3位に貢献した〔『采谷選手物語』39頁〕〔全国高等学校駅伝競走大会公式サイト 第13回男子大会記録 〕。
1963年、体育教師になるため日本体育大学健康学科に進学〔『采谷選手物語』45-47、55-56頁〕。日体大は当時、長距離・マラソンの一級選手は出ておらず、采谷は特定のコーチにつかず独自のプログラムを作り練習した〔〔。健康学科の授業を通して、自身の体調を科学的に分析し、また力学から足の運び、重心の置き方を研究するなど、つねに科学的なトレーニングを消化することに務める〔。このため、大学2年1965年の第41回箱根駅伝では監督から干された〔。采谷が座右の書としたのが采谷が日体大に進学した1963年に竹中正一翻訳で出版されたアーサー・リディアードの『リディアードのトレーニング方式』という書〔『采谷選手物語』58-61頁〕。箱根駅伝では1964年の第40回大会で、1年生にして8区を走り区間2位。3年時の1966年第42回大会では8区で1時間3分53秒の区間賞〔当時の区間記録は前年の松波慎介順天堂大学)の1時間3分15秒。〕 に輝き、4年時の1967年第43回では、9区を走り区間4位であった。在学中は、三年時の3位が最高である。1965年、日体大2年時、中日福井マラソンで初マラソン初優勝(2時間26分19秒)。1966年、第4回延岡西日本マラソン優勝(2時間21分58秒)〔歴代優勝者 / 延岡西日本マラソン / 西日本スポーツ 〕。大学3年から4年にかけて、あらゆる機会をとらえては長距離・マラソン競技に出場し、卒業後の国内陸上界への進出の基礎を作る〔『采谷選手物語』66頁〕。1967年8月、東京ユニバーシアードマラソン優勝。采谷のマラソン界への進出が日体大陸上競技部飛躍の「火つけ役」となった〔『采谷選手物語』69-70頁〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「采谷義秋」の詳細全文を読む




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