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鄒忌 : ウィキペディア日本語版
鄒忌[すう き]
鄒 忌(すう き、生没年不詳)は、中国戦国時代田斉に仕えた政治家威王宣王に仕えて宰相として辣腕を振るった。琴の名人として知られ、初めは宮廷で威王に琴を教えていた。美男子でも有名である。
- 『史記田敬仲完世家』(田氏に乗っ取られた後の斉についての記述)には忌(馬編に芻)となっているが、『史記六国年表』などでは忌になっている。この記事中では鄒忌で統一する。
==威王に琴を用いて政を語る==
鄒忌が初めて登場するのが、紀元前380年が攻められ、斉に韓から救援要請が来たときに、田斉の桓公五覇の桓公ではない。)が家臣たちに救援すべきかどうかを尋ねたときである。この時に鄒忌は助けない方が良いと言ったが、他の家臣の進言により、結局助けることになった。
鄒忌は身長八尺の大男で、その容姿はじつに美しかった。同時代の陰陽家の騶衍・騶奭と合わせて三騶子と称されていたと言うが、鄒忌が思想活動を行っていたか、陰陽家であったかは判らない。その前歴も明らかではないが、鄒のはかつて存在した鄒と言う小国の末裔が名乗っていたという。あるいは勾践の子孫もそう名乗っていたともいう。
鄒忌は琴の名手として威王に謁見し、琴の音で政治を語ったという。それに感服した威王は三ヵ月後に鄒忌を宰相に任命した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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