翻訳と辞書
Words near each other
・ 郭桓の案
・ 郭欽
・ 郭欽 (新)
・ 郭正哲
・ 郭氏
・ 郭氾
・ 郭汜
・ 郭沫若
・ 郭沫若同志故居
・ 郭況
郭泓志
・ 郭泰
・ 郭泰源
・ 郭泰祺
・ 郭泰輝
・ 郭海東
・ 郭涛
・ 郭涛 (中将)
・ 郭涼
・ 郭淮


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

郭泓志 : ウィキペディア日本語版
郭泓志[くぉ ほんつぃ]

郭 泓志(クォ・ホンツィ、かく おうし、Hong-Chih Kuo1981年7月23日 - )は、台湾台南市出身のプロ野球選手投手)。左投げ左打ち。現在は、中華職業棒球大聯盟(CPBL)の統一セブンイレブン・ライオンズに所属している。
== 経歴 ==

=== プロ入りとマイナー時代とドジャース時代 ===
ロサンゼルス・ドジャースとマイナー契約を結んだ。
9月の拡大ロースターにおいてはじめてメジャーの一員となった。この年は9試合に登板して1敗。
開幕前の3月には、この年から開催される事となったワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のチャイニーズタイペイ代表に選出された〔Tournament Roster WBC公式サイト ''英語'' 2015年3月21日閲覧〕。

シーズンでは、年間を通じて40人ロースターには登録されたまま、昇格と3Aへの降格を繰り返していたが、9月に昇格してからは本来の役割である先発に転向し、9月8日に先発デビューを果たす。首位ニューヨーク・メッツを6回無失点に抑えてメジャー初勝利を飾った。先発5試合で防御率3点強と先発向きの資質をアピールして見せた。また、ドジャースはポストシーズンに進み、郭はメッツとのディビジョンシリーズ第2戦で先発。5回途中、自責点2で降板し、負け投手となった。

オフの12月にはアジア競技大会チャイニーズタイペイ代表に選ばれ、同代表史上初のアジア大会優勝に貢献した。
は先発の一員として期待されていたが、背筋を痛めて開幕メジャーはならなかった。
は一気に飛躍の年となった。2007年シーズン終了後のオフで手術した左腕を案じたトーリ監督は郭をセットアッパーとして起用したが、郭はこのポジションで頭角を現した。5月6日のメッツ戦では、黒田博樹のリリーフとして登板し、打者12人に対し8三振を奪い、3回2/3を無安打無得点に抑え、シーズン2勝目を挙げた。また8月14日のフィラデルフィア・フィリーズ戦では2回を無安打無得点に抑え自身初のセーブを挙げた。郭は2008年シーズン中42試合に登板し3試合に先発、39試合にリリーフとして出場、80回を投げ96三振を奪い、対戦チームの打率を.204に抑え、全ナショナルリーグのリリーフ投手の中でも1.69という顕著な防御率を残すに至った。上腕三頭筋のケガによりシーズン最後の15試合、およびディビジョンシリーズへの出場機会を失ったが、ナショナルリーグのチャンピオンシリーズでは3試合に出場し、3回を登板、3三振を挙げた。郭は同年の「MLB.com This Year in Baseball Awards」において、最優秀中継ぎ投手に選ばれた。
は4月後半に持病ともいえる左肘痛から15日の故障者リストに掲示され、さらに60日DLに移行するなど故障に苦しんだ。しかし、7月下旬に復帰すると2ヶ月強で28試合に登板した(ほぼ2試合に1試合のペースである)。終盤、コロラド・ロッキーズに追いつかれそうになったチームの地区優勝達成を支えた。
は台湾出身の選手で初めて、MLBオールスターゲームに出場した。現時点で台湾出身の選手でオールスターに出場したのは郭のみである。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「郭泓志」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.