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邵雍 : ウィキペディア日本語版
邵雍[しょう よう]

邵雍(しょう・よう、1011年 - 1077年)は、中国・北宋時代の儒学者。字は堯夫、諡を康節という。
== 略伝と性格 ==
范陽河北省)の出身。幼いときに父に従い共城百泉(河南省輝県市)に移住。若い頃から自負心が強く己の才能をもってすれば先王の事業も実現できるとし、郷里に近い蘇門山の百源のほとりに庵をたてて刻苦勉励した。この間、宋初の隠者・陳摶の系統をひく李挺之から『易経』の河図洛書と先天象数の学を伝授された。やがて自分の学問の狭さを自覚し、各地を遊歴して土地の学者に教えを請い見聞を広めたが、道は外に求めて得られないと悟り、帰郷して易学について思索を深めた。39歳頃に洛陽に移住し、以後亡くなるまでこの地で儒学を教えた。
邵雍は貧しかったが富弼司馬光・程氏兄弟(程顥程頤)・張載などの政学界の大物を知己とし、ものにこだわらない豪放洒脱な人柄から「風流の人豪」ともいわれ、洛陽の老若男女に慈父のように慕われた。晩年に天津橋上でホトトギスの声を聞き、王安石の出現と政界の混乱を予言した逸話は、邵雍の易学の一端をうかがわせる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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