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通信の歴史 : ミニ英和和英辞書
通信の歴史[つうしん]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [つう]
  1. (adj-na,n) (1) connoisseur 2. authority 3. (2) counter for letters, notes, documents, etc. 
通信 : [つうしん]
  1. (n,vs) correspondence 2. communication 3. news 4. signal 
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 
歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 

通信の歴史 ( リダイレクト:通信技術の歴史 ) : ウィキペディア日本語版
通信技術の歴史[ふみ]

通信技術の歴史は、アフリカ両アメリカ大陸、そしてアジアの一部で見られた、狼煙太鼓(例えばトーキングドラム)の利用に始まる。ヨーロッパでは1790年代には固定的な腕木通信システムが出現したが、電気通信システムが現れ始めるのは1830年代になってからのことである。本項では、遠隔通信技術の歴史を詳らかにするとともに、通信システムが今日ある姿になった経緯に関わった個人についても紹介する。
== 古代のシステムと光学的遠隔通信 ==

原始的な通信技術としては、例えば狼煙や太鼓があった。トーキングドラムとして知られる太鼓を使った遠隔コミュニケーションは、アフリカニューギニア南アメリカ先住民社会で使われていた。狼煙(のろし)は、北アメリカと中国で使われていた。普通考えられることとは対照的に、これらのシステムは、単に軍の野営地があることを知らせること以外のことにもよく使われていた。〔Native American Smoke Signals , William Tomkins, 2005.〕〔Talking Drums , Instrument Encyclopedia, Cultural Heritage for Community Outreach, 1996.〕
ポリュビオスの伝えるところによると、古代ギリシアでは紀元前4世紀、第一次ポエニ戦争の頃に、水を利用して情報を遠隔へ光学的に伝えるシステムが使われていたという。これはまず、離れた丘の上にそれぞれ同じ大きさの水を張った水瓶を用意しておく。情報を伝える際には、まず送信側の兵士が松明を上げる。受信側兵士がこれに気づいて松明を上げ、それと同時に水瓶の栓を抜く。送信側兵士は受信側が松明を上げたことを視認すると、それと同時に水瓶の栓を抜く。送信側兵士は、伝えたい情報に相当する水位のところまで水が減ると、栓を締めると同時に松明を下げる。受信側兵士は、松明が下がったのを視認すると、それと同時に栓を締め、水瓶の水位を読み、読み取った水位に相当する情報を得る。このように、水瓶から水を抜いたり、水を注いだりすることによって情報を伝えるものであり、狼煙と異なり1ビットより多くの情報が伝えられる可能性を持つが、極めて限定された用途にしか使えず、あらかじめ決めておいたメッセージを伝えることにしか使えなかった(詳細は「」参照)。〔Lahanas, Michael, Ancient Greek Communication Methods , Mlahanas.de website. 〕
中世においては、典型的には丘の上で灯すかがり火狼煙)の鎖状ネットワークが信号のリレー用途に使われていた。このシステムの欠点は、1ビットの情報だけしか送れないというものである。例えば、「敵を発見したぞ」のようなメッセージの意味は、事前に打ち合わせしておく必要があった。かがり火の鎖状ネットワークの有名な事例としては、アルマダの海戦において、スペイン艦隊の到来を知らせる信号をプリマスからロンドンまでリレーしたエピソードなどがある。〔David Ross, The Spanish Armada , Britain Express, October 2008.〕
日本では多ビットの情報を送信する技術を甲斐武田氏が開発していたことが記録に残っている。武田信玄は1555年頃、信州長沼城と甲斐の居城と間の見晴らしのよい丘の上に狼煙台を設け、毎日、赤、白、黒などの色の狼煙を上げて軍況を報じさせていた。〔『科学史技術史事典』660頁
フランスの技術者クロード・シャップは、1790年に視覚的な遠隔通信に取り組み始めた。彼の考案したものは、一対の時計針の形をしたものを使って何種類もの異なる文字を指し示すものであった。これは遠距離になるとあまり役に立たないことが分かり、シャップは模型を改造して、2組の木製の腕木を繋げたものを作った。操作者は腕木をクランクとワイヤーで動かした〔Wenzlhuemer, ''Connecting the Nineteenth-Century World'' (2013), pp. 63–64.〕。シャップはまず、リールパリの間に彼が発明した腕木通信線を敷き、次に、ストラスブールとパリの間にも敷いた。他方でスウェーデンの技術者アブラハム・エーデルクランツは1794年に、シャップのものとはまったく異なるシステムをストックホルムからドロットニングホルムの間に構築した。プーリーで腕木を回すシャップの機構とは対照的に、エーデルクランツの機構はシャッター(遮蔽板)のみを使ったものであったため、情報伝達をより迅速に行うことができた。〔Les Télégraphes Chappe , Cédrick Chatenet, l'Ecole Centrale de Lyon, 2003.〕
しかしながら、通信システムとしてのセマフォは、操作者たちに熟練が必要であった。また、たかだか10から30キロメートルの間隔を置いて建てなければならない塔にかかる費用がかさんだ。そのため、残った1本の商業的な通信ラインが1880年代に遺棄されたのを最後に、利用されなくなった。〔CCIT/ITU-T 50 Years of Excellence , International Telecommunication Union, 2006.〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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