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谷藤裕明 : ミニ英和和英辞書
谷藤裕明[たにふじ ひろあき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 

谷藤裕明 : ウィキペディア日本語版
谷藤裕明[たにふじ ひろあき]

谷藤 裕明(たにふじ ひろあき、1950年4月29日 - )は、日本政治家実業家岩手県盛岡市長(3期)。盛岡市出身。岩手県議会議長、岩手県議会議員(3期)を務めた。
== 来歴 ==
岩手県盛岡市生まれ。岩手県立盛岡第一高等学校早稲田大学教育学部卒業。大学卒業後、盛岡市に本社を置く株式会社橋市の役員を経て、1991年に岩手県議会議員選挙に盛岡市選挙区から出馬し、初当選を果たした。以後3期連続当選。岩手県議時代は自由民主党系の会派(自由民主クラブ)に所属した。2001年、岩手県議会議長に就任。2003年の岩手県議会議員選挙では、同年8月の盛岡市長選挙への出馬を見越し、4選出馬を見送った。市長選出馬に伴い、自民党籍を離脱。
2003年8月、無所属公明党推薦)で盛岡市長選挙に出馬。民主社民2党が推薦する現職の桑島博盛岡市長、市民派市長をつくる盛岡市民の会及び日本共産党勝手連的に支援した作家の斎藤純、会社役員の芦名鉄雄を破り、当選した。立候補者4人による争いは、戦後の盛岡市長選では最多であった。なお、谷藤が県議時代に所属していた自民党や小沢一郎が党首を務めていた自由党は、支持する候補を一本化できず(桑島、谷藤で支持が割れた)、特定の候補を支援するには至らなかった。谷藤は公明党の推薦に加え、盛岡市議会の有志議員による「発進会」の支援も取り付け〔盛岡タイムス2007年5月19日朝刊 ‐ 盛岡タイムス社〕、桑島市長が獲得した39,473票を約6千票上回る47,432票を獲得し、辛勝した〔盛岡市選挙管理委員会サイト - 盛岡市選挙管理委員会、2008年11月23日確認。〕。なお投票率は53.67%であった。
2007年の盛岡市長選では、国政政党各党が目前に迫った第21回参議院議員通常選挙や、達増拓也岩手県知事選挙出馬に伴う衆議院岩手県第1区補欠選挙への対応を優先させたため〔〈盛岡市長選〉谷藤氏ただいま独走中 - 盛岡タイムス電子版、2008年11月23日確認。〕、対立候補は前回も立候補した会社役員の芦名鉄雄のみで、選挙戦は盛り上がらず、戦後最低の投票率(30.94%)〔盛岡市選挙管理員会サイト - 盛岡市選挙管理委員会、2008年11月23日確認。〕を記録。谷藤は57,700票を獲得し、芦名の12,674票を大きく上回って再選を果たした。
2011年の盛岡市長選では、同年3月11日に発生した東日本大震災の影響により、同日選挙になった盛岡市議会議員選挙への対応を優先させるため、日本共産党が候補者の擁立を断念したため、現職の谷藤以外に立候補の届出がなく、谷藤は無投票で3選を果たした。盛岡市長が無投票で選出されたのは60年ぶりであった。
2015年の盛岡市長選では、前回と同じ市議選と同時選挙となり、候補者は現職の谷藤の他民主・社民2党が推薦する新人で会社社長の内舘茂が立候補し2人となり、8年ぶりの投票となった。選挙の結果、谷藤が68,583票、内舘は51,930票で谷藤が4選を果たした。投票率は51.45%だった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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