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誉田八幡宮 : ミニ英和和英辞書
誉田八幡宮[こんだはちまんぐう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [やつ]
 (num) eight
八幡 : [はちまん]
  1. (adv,n) God of War 2. Hachiman 
八幡宮 : [はちまんぐう]
 (n) Shrine of the God of War

誉田八幡宮 : ウィキペディア日本語版
誉田八幡宮[こんだはちまんぐう]

誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)は、大阪府羽曳野市にある神社である。旧社格府社。主祭神は応神天皇で、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)の直ぐ南に鎮座する。
== 歴史 ==
社伝によると、欽明天皇20年(559年)に任那の復興を目指した欽明天皇によって、応神天皇陵前に神廟が設置されたことをもって創建としている。このことから最古の八幡宮を称している。奈良時代には行基によって神宮寺長野山護国寺も創建された。永承6年(1051年)の後冷泉天皇行幸の際に、元の鎮座地から1ほど南の現在地に遷座した。
八幡神が源氏氏神とされることから、源氏姓を名乗る歴代の将軍をはじめ、武家の信仰を受けた。南北朝時代から戦国時代にかけては、別当職の誉田三河入道一族によって保護されたが、享徳3年(1454年)より始まった河内守護・畠山氏の内輪争いにより社殿・伽藍を焼失し荒廃した。河内国を支配下に置いた織田信長により、社領をすべて奪われた。その後、豊臣秀吉は社領200石を寄進し、社殿を再建した。天正14年(1586年)に社殿が焼失したため、豊臣秀頼片桐且元を普請奉行に任命して社殿再建を行ったが、拝殿の建造中に大坂夏の陣・豊臣氏滅亡があり、建物の内部が未完成のままとなっている。江戸幕府も200石の社領を安堵し、数度にわたり社殿の修復を行った。
神宮寺の長野山護国寺は、明治初年の廃仏毀釈により大半の建物が取り壊され、現在は南大門のみが残る。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「誉田八幡宮」の詳細全文を読む




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