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西田優香 : ミニ英和和英辞書
西田優香[にしだ ゆか]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

西 : [にし]
 【名詞】 1. west 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [ゆう]
  1. (adj-na,n) actor 2. superiority 3. gentleness

西田優香 : ウィキペディア日本語版
西田優香[にしだ ゆか]



西田 優香(にしだ ゆか、1985年12月27日 - )は鹿児島県日本代表選手 女子 フジテレビ〕出身の女子柔道選手。階級は52kg級。身長154cm。得意技は背負投。組み手は左組み。段位は四段。血液型はA型〔「柔道全日本強化選手名鑑 2016」近代柔道 ベースボールマガジン社、2016年4月号〕。父親は世界柔道選手権代表経験のある西田孝宏〔母も日体大柔道部出身の柔道経験者である。弟の泰悟は2008年の学生体重別90kg級で優勝している〔「金メダリスト インタビュー西田優香」近代柔道 ベースボールマガジン社、2010年12月号〕。
==人物==
柔道は5歳の時に始めた〔。淑徳中学校に入学後、1年の時には早くも全国中学校柔道大会48kg級で優勝した。2年の時は5位だったが、3年の時には52kg級に階級を上げて2階級制覇を果たした〔。淑徳高等学校では全国高等学校柔道選手権大会で2連覇を達成した〔。
淑徳大学に進学後〔、2004年の世界ジュニアでは準決勝でロシアのアナ・ハリトノーワから技ありを先取するも、終盤に相手の腕挫十字固で左肘を負傷するが何とか凌いだ。さらに決勝も技ありで勝利して、1976年の世界ジュニア中量級で優勝した父親の西田孝宏に続いて父娘2代で世界ジュニアチャンピオンとなった。しかしながら、準決勝のケガは長い間尾を引くことになったという。このケガの影響で得意の背負投を普段の稽古でもほとんど使わなくなってしまった〔。だが、2005年の福岡国際で優勝すると、2007年の体重別でも優勝を果たした〔。続く世界選手権では銅メダルを獲得し、北京オリンピック代表の最有力候補とみなされていたが、2008年の体重別では君島奈津子に内股でまさかの一回戦負けを喫し代表の座を逃した(この階級の代表は、谷亮子との代表争いを避けて前年秋に48kg級から階級を上げてきたばかりの中村美里)。この時ばかりは柔道をやめたくなり、自宅でヒステリー状態と化したものの、弟の泰悟に諭されて我に返ったという〔〔。
2008年の嘉納杯では決勝で北京オリンピック銅メダリストの中村美里を破り優勝した〔嘉納杯柔道ワールドグランプリ2008 テレビ東京開局45周年記念番組〕。
2009年に入りグランドスラム・パリは5位タイに終わったがグランドスラム・リオデジャネイロで優勝している〔。
2010年にはグランドスラム・モスクワで久々の国際大会優勝を果たす。2010年世界選手権では決勝で中村と対戦すると、GSの末に3-0の判定で破り優勝を果たした〔。続くグランドスラム・東京でも決勝で16歳の山本杏を破って優勝を果たした〔16歳に苦戦も…西田が王者の意地/柔道  日刊スポーツ 2010年12月11日〕。
2011年1月にはワールドマスターズに出場するが、決勝で中村に1本負けして2位に終わる。しかし、2月のグランプリ・デュッセルドルフではオール1本勝ちで優勝を果たす。4月にはアブダビで開催されたアジア選手権に出場して、個人戦と団体戦でともに優勝を飾る。8月の世界選手権では、準決勝までの5試合を背負い投げで全て一本勝ちして順調に勝ち上がるも、決勝では中村相手に先に指導1を取りながら、その後攻め返されて指導2を取られて優勢負けを喫して2連覇はならなかった〔西田連覇ならず「素直に悔しい」/世界柔道  日刊スポーツ 2011年8月25日〕。
2012年1月には ワールドマスターズに出場して、準決勝でアルジェリアのソラヤ・ハダド小内刈で一本勝ちすると、決勝でも中村にGSに入ってから背負投で一本勝ちを果たして今大会初優勝を飾った〔西田、執念で宿敵美里から1本  日刊スポーツ 2012年1月15日〕。
2月にはグランドスラム・パリに出場して、決勝でモンゴルのムンフバータル・ブンドゥマーから合技で一本勝ちして優勝を果たした〔西田「自分の柔道できてきた」  日刊スポーツ 2012年2月5日〕。
4月には北朝鮮の安琴愛と対戦するためにあえてアジア柔道選手権大会に出場するが、安が出場しなかったために対戦はならなかったものの、3試合オール一本勝ちで優勝を果たした〔西田、山本が優勝=柔道アジア選手権 〕。
5月の体重別では、決勝で中村にGSに入ってから横四方固で一本負けを喫して、ロンドンオリンピック代表には選出されなかった〔 時事通信 2012年5月13日〕。
2013年4月の体重別では決勝でコマツ橋本優貴横四方固で敗れた。その後左肘の手術を行うために戦線離脱した〔。
約1年ぶりの復帰戦となった2014年4月の体重別では、決勝で中村を有効で破り5年ぶり3度目の優勝を飾った〔 サンケイスポーツ 2014年4月5日〕。11月の講道館杯では決勝で帝京大学3年の志々目愛を合技で破って優勝を飾った〔 時事通信 2014年11月9日〕。1年9ヶ月ぶりの国際大会出場となったグランプリ・青島では、準決勝でルーマニアのアンドレア・キトゥに反則の対象となる倒れこみの脇固めを仕掛けられたことにより反則勝ちとなるが、決勝は負傷により棄権した〔 時事通信 2014年11月19日〕。12月のグランドスラム・東京では、決勝で橋本に指導1で敗れた〔 時事通信 2014年12月5日〕。
2015年2月のグランプリ・デュッセルドルフでは3回戦で敗れた。4月の体重別でも準決勝で中村に腕挫十字固で敗れ、5月のアジア選手権では3位に終わった〔 時事通信 2015年5月14日〕。11月の講道館杯では2年連続3度目の優勝を飾った〔 サンケイスポーツ 2015年11月8日〕。続くグランプリ・青島では優勝を飾った〔 サンケイスポーツ 2015年11月20日〕。12月のグランドスラム・東京では準決勝で中村に敗れるなどして5位に終わった。
2016年4月の選抜体重別では準決勝で西田に敗れて3位だった〔平成28年全日本選抜柔道体重別選手権大会 〕。
IJF世界ランキングは516ポイント獲得で30位(16/5/2現在)〔World ranking list 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「西田優香」の詳細全文を読む




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