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虢国夫人 : ミニ英和和英辞書
虢国夫人[ひと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [くに]
 【名詞】 1. country 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 
夫人 : [ふじん]
 【名詞】 1. wife 2. Mrs 3. madam 
: [ひと]
 【名詞】 1. man 2. person 3. human being 4. mankind 5. people 6. character 7. personality 8. true man 9. man of talent 10. adult 1 1. other people 12. messenger 13. visitor 1

虢国夫人 ( リダイレクト:カク国夫人 ) : ウィキペディア日本語版
カク国夫人[かくこくふじん]

虢国夫人(かくこくふじん 生年不詳 - 至徳元載(756年))は唐代玄宗朝の妃である楊貴妃の姉。姓は楊、名は伝わっていない。楊貴妃の栄誉の恩恵を受けて豪奢にふるまったが、楊貴妃の死後殺された〔この項では楊貴妃、楊国忠を除く楊貴妃の一族について扱う。〕。
== 経歴 ==
蜀州司戸の楊玄淡の二女(三女という記述もあるが、従姉妹などを含めた排行だと思われる)。父が死に、代わりに楊国忠が家を守っていた時、その間に私通していたという。この前後に裴氏に嫁ぎ、子の裴徽と娘を一人、生んでいる。
この後の動向は不明だが、楊貴妃が寿王・李琩の妃になった開元23年(735年)から貴妃に冊された天宝4載(745年)までに、夫の裴氏に死なれ、寡婦となり、兄の楊銛、従兄弟の楊錡、姉妹とともに蜀州から都・長安に移っていたようである。虢国夫人は他の姉妹同様に優れた容貌を持ち、頭の回転も回り、宮中に入り日が暮れるまで帰らなかったという。
この頃またいとこの楊国忠の来訪を受け、屋敷に泊まらせ、玄宗に推薦した。天宝7載(748年)には虢国夫人に封じられ、姉が韓国夫人、妹も秦国夫人に封じられ、毎年千貫を化粧代として支給されることになった。
虢国夫人は美貌に自信を持っており、化粧をせずに玄宗の前に出た。宮廷にも相変わらず出入りして、姉妹たちとともに楊貴妃の琵琶の弟子になったという。子の裴徽は延光公主と婚姻を結ぶ。この間の楊国忠との密通の噂は絶えず、韓国夫人と三人で馬に乗りながら、背後の百人以上の宮女に灯りを持たせ、ふざけあいながら参内したという。杜甫の詩にも彼女を題材に「虢国夫人」や「麗人行」に唱われている(「虢国夫人」は別人作説あり)。
また、張萱の『虢国夫人遊春図』は彼女を題材にしたもので、男装をして馬に乗り、列の先頭を行く彼女の姿が描かれている。
楊一族の中で最も豪奢と横暴であることで知られ、官人の家に入り込み、家を壊して新しい自宅を造り、隅っこの土地だけを返した話や、蟻やとかげが出られないほどの精緻な屋敷を建てた話が残っている。天宝12載(753年)頃、楊国忠が自邸で人事を行った際に、名を呼ばれた者の容貌がよくないと簾ごしに姉妹たちと嘲笑したという話もある。
天宝14載(755年)の安史の乱の勃発に伴い、至徳元載(756年)の玄宗の長安出奔後、先行して陳倉に赴いていたが、楊国忠、韓国夫人、楊貴妃の死を聞き、逮捕にきた県令を反乱軍と思い逃げだした。そして裴徽と娘、楊国忠の妻の裴柔を殺して自殺したが、死にきれずに捕らえられた。この時、「国のものか? 賊か?」とたずねると「どちらとも言える」と答えが返ってきた話が残っている。のどに血が固まり死んだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「カク国夫人」の詳細全文を読む




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