翻訳と辞書
Words near each other
・ 菊盛英夫
・ 菊矢吉男
・ 菊石
・ 菊祭り
・ 菊秀駅
・ 菊章
・ 菊竹六皷
・ 菊竹六鼓
・ 菊竹博之
・ 菊竹淳
菊竹清訓
・ 菊紋
・ 菊綴
・ 菊練り
・ 菊芋
・ 菊花
・ 菊花コンクール
・ 菊花大会
・ 菊花大綬章
・ 菊花展


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

菊竹清訓 : ミニ英和和英辞書
菊竹清訓[きくたけ きよのり]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [きく]
 【名詞】 1. chrysanthemum 
: [たけ]
 【名詞】 1. bamboo 2. middle (of a three-tier ranking system) 
: [くん]
 【名詞】 1. native Japanese reading (rendering) of a Chinese character 

菊竹清訓 : ウィキペディア日本語版
菊竹清訓[きくたけ きよのり]

菊竹 清訓(きくたけ きよのり、1928年4月1日 - 2011年12月26日)は、日本建築家一級建築士博士(工学)
== 来歴 ==
福岡県久留米市出身。1944年、早稲田大学専門部工科建築学科入学。1945年に久留米駅舎コンペで1等、1948年に広島平和記念カトリック聖堂コンペで3等を獲得するなど、在学中から既に活躍していた。1950年、早稲田大学理工学部建築学科卒業。同年竹中工務店、1952年村野・森建築設計事務所を経て、1953年に菊竹清訓建築設計事務所を開設。
1960年代後期から70年代にかけ、独自のデザイン論である『代謝建築論 か・かた・かたち』を掲げ、黒川紀章らとともに建築と都市の新陳代謝、循環更新システムによる建築の創造を図ろうとするメタボリズムを提唱する。1995年に早稲田大学より博士(工学)を取得(博士論文「軸力ドームの理論とデザイン」)。早稲田大学理工学部講師(1959年)、千葉工業大学教授(1989年)、早稲田大学理工学総合研究センター客員教授(1993年 - 1998年)を歴任。2000年にユーゴスラヴィア・ビエンナーレにて「今世紀を創った世界建築家100人」に選ばれている。
1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では『エキスポタワー』、1975年の沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)では『アクアポリス』を設計し、1985年の国際科学技術博覧会(つくば科学万博)ではマスタープラン作成委員としてBブロックの会場計画および外国館の設計を担当、2005年日本国際博覧会(愛知万博)では総合プロデューサーとして会場計画を担当するなど、日本国内で開催されてきた国際博覧会にも深く関わってきた。他にも地方博覧会では、1988年のなら・シルクロード博覧会でハード担当プロデューサーを務めた。
2011年12月26日、心不全のために死去〔日本を代表する建築家、菊竹清訓氏が死去 83歳 建築運動「メタボリズム」をリード 産経新聞 2012年1月5日閲覧。〕。。
1960年代の後半の数年間、菊竹の事務所に勤めた経験を持つ伊東豊雄は、菊竹を「恐らくこのような狂気を秘めた建築家が今後あらわれることはないだろう」と高く評価している〔読売新聞 2012年1月10日文化面「菊竹清訓氏を悼む 伊東豊雄」〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「菊竹清訓」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.