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致平親王 : ミニ英和和英辞書
致平親王[むねひらしんのう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たいら, ひら]
 【名詞】 1. the broad 2. the flat 3. palm
親王 : [しんのう]
 【名詞】 1. prince of royal blood 2. Imperial prince
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

致平親王 : ウィキペディア日本語版
致平親王[むねひらしんのう]
致平親王(むねひらしんのう、天暦5年(951年)- 長久2年2月20日1041年3月24日))は、平安時代皇族村上天皇の第三皇子、母は更衣正妃左大臣藤原在衡女)。冷泉天皇円融天皇らの異母兄弟。同母兄弟姉妹に保子内親王藤原兼家室)・昭平親王がいた。子に源成信藤原道長養子)、源致信永円園城寺平等院大僧正)。妻は源雅信の娘。法名は悟円
康保2年(965年)、清涼殿において元服。このときの加冠を中納言源兼明が、理髪を頭中将源延光がそれぞれ務めた。同年、上野太守になる。康保4年、四品に叙される。安和2年(969年)帯剣を許される。天禄2年(971年兵部卿に任ぜられる。貞元元年(976年大宰帥になる。981年天元4年)に園城寺の余慶に従って出家し、智弁に師事した。法名を悟円といい、明王院宮法三宮と呼ばれた。出家に際し、徽子女王中務から歌を贈られている。長久2年2月、91歳で薨去した。
== 系図 ==




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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