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胡安国 : ウィキペディア日本語版
胡安国[こ あんこく]
胡安国(こ・あんこく、1074年 - 1138年)は、中国・北宋末の大儒学者。字は康侯。
== 略伝 ==

建寧崇安(福建省武夷山市)の出身。太学に入り程頤の友人である朱長文靳裁之などを師とする。1097年進士となり、太学博士となり提挙湖南学事を拝命する。一時は蔡京のために陥れられたがまもなく前の官職に復帰し、1111年張商英が宰相となると提挙成都学事に遷る。翌年に父の喪に会って後は病と称して仕えず、屯田郎・太常少卿・起居郎に推挙されたが、すべて辞退して赴任しなかった。欽宗はその学識を惜しんで1126年に中書舎人としたが、狄南仲などの臣は胡安国の多くの上奏の中に自分たちを指弾するものがあることを怖れて右文殿修撰知通州へと左遷する。
南宋となってからは給仕中としてしばしば朝廷に召され、1131年には中書舎人に侍講を兼ね、『時政論』21篇を献上する。王安石が『春秋』を廃してから学官を置かないことを憤慨し、『春秋』を20年も研究していたので高宗は侍講として講義させようとした。ところが朱勝非を宰相としないよう説いたのを高宗に用いられないと見るや、官職を辞して去った。徽猷閣待制知永州に任命されたが赴任せず、高宗が旧臣の労をねぎらおうとする詔を発し、その旨に従い提挙江州太平観に任命され、特に令して『春秋伝』を編纂させた。書物が完成すると提挙万寿観・侍講となり、ついで宝文閣直学士へ進む。65歳で亡くなると、文定と諡され田を10頃賜った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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