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秋岡芳夫 : ミニ英和和英辞書
秋岡芳夫[あきおか よしお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あき]
  1. (n-adv) autumn 2. fall 
: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

秋岡芳夫 : ウィキペディア日本語版
秋岡芳夫[あきおか よしお]
秋岡 芳夫(あきおか よしお、1920年4月29日 - 1997年4月18日)、は日本の工業デザイナー、童画家、著述家、教育者。熊本県宇城市松橋町出身。少年期以降は東京都目黒区中町在住。工業デザイナーでありながら大量生産・大量消費社会に疑問を投げかけ、「暮らしのためのデザイン」という持論の実践のため、日本各地で手仕事やクラフト産業の育成のために尽力。手仕事や手道具の楽しさ、おもしろさを伝える多数の著述や、さわれる工芸展、市の立つ工芸館やワークショップを仕掛けるなど、活動領域の広さや手法の独自性は他に類例がない。主に1970年代〜80年代に活動したデザイン運動体グループ モノ・モノの代表。東北工業大学、共立女子大学などの教授として、また桑沢デザイン研究所などの非常勤講師としても活躍した。
== 来歴・人物 ==
幼少期から工夫と工作が大好きな発明少年であり、小学校時代のニックネームは「エジソン君」。あるとき、抜けた空気を自動的に入れるタイヤを考案し、そのアイデアをアメリカの大手タイヤメーカーが買い取った。しかしそれは、企業に都合の悪いアイデアが世に出ないようにするためであった。意に反し特許という制度が悪用された経験から、よいアイデアを誰もが使うことができるよう自分が特許を取得し、公開する、という考えを持つようになった。のちに実際、アルミサッシメーカーの依頼で多数の窓やドアのデザイン開発を手がけたとき、100種以上の特許と実用新案を取得。一つのメーカーが独占できないよう、すべてを公開している。
敗戦後、家具や玩具のデザイン、建築設計、童画家などの経験ののち、金子至、河潤之介と共同で工業デザインの会社として草分け的存在となるKAKを設立。中小企業に主眼を置き、丸正自動車製造「ライラック」のオートバイやセコニックの露出計、ミノルタのカメラなどのデザインで評価を得た。学習研究社に対し科学と学習の画期的な付録教材を提案。デザイナーとしての代表的な仕事となった。
70年代、画一化し行き過ぎた工業化社会への危機感から"消費者"から"愛用者"になることなどを提唱。また、読売新聞で日本列島改造論やデザイン産業の在り方を痛烈に批判するなどデザイナーの枠を超えた活動が始まった。執筆の他に具体的な啓発運動として丸善内のギャラリーやデパートでの企画展や、作り手100人・使い手1000人を結ぶ1100人の会を主宰するなど全国でデザイン運動を展開。また、クラフトの流通や販売チャンネルの拡大を目指し、低迷していた手仕事による伝統技術者やクラフトマンなど生産する側の支援に尽力した。秋岡が創設、支援した団体は現在も全国各地に存在し活動を広げている。
日本の生活デザインの父とも呼ばれ、東京高等工芸学校の先輩でもある豊口克平との関係も深い。秋岡は1955年に発表されたトヨさんの椅子や代表作と言われる62年発表のスポークチェアを終生愛用し、幾度となく優れたデザインであることを述べている。日本の特徴的な機能美の一つである多用途であることや、靴を脱いで生活する習慣を考慮し座面高が30から35センチと、低く設計されていることを気に入っていた。また、豊口が産業工芸試験所を退所後KAKに入社することを希望したが、恐れ多く丁重に断った。59年に設立した豊口デザイン研究室は当初、KAKの事務所もある秋岡宅の敷地中にあった。80年に秋岡がハンス・J・ウェグナーの展覧会のアドバイザーとして参加したことから、触発されるかたちで発表されたと思われる「女の椅子」や「男の椅子」はウェグナー、豊口の作品からの影響が見られる。
木工をはじめとする私塾の主宰、古典的竹とんぼの性能を格段に飛躍させてたスーパー竹とんぼの考案、職人の手道具やライカのコレクター、多数の特許をもつ発明家としても知られる。
没後、秋岡コレクションと呼ばれる江戸期から近代に至る生活道具や生産するためのあらゆる道具・工具などを収集した膨大な資料が、触れて鑑賞できるモノの図書館の建設を条件に遺族から北海道置戸町に寄贈された。〔しかし町は財政難などを理由として全面的に計画を凍結。貴重な資料の行方が懸念されている。〕
新聞、雑誌などの連載執筆多数。
東北工業大学共立女子大学教授。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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