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硲伊之助 : ミニ英和和英辞書
硲伊之助[はざま いのすけ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [これ]
 (int,n) (uk) this
: [すけ]
 (n) assistance

硲伊之助 : ウィキペディア日本語版
硲伊之助[はざま いのすけ]
硲 伊之助(はざま いのすけ、1895年11月14日-1977年8月16日)は、日本の画家、陶芸家。
1914年、第1回二科展に「女の習作」出品、二科賞を受ける。1918年、二科展に作品6点を特別陳列、二科賞を受ける。
戦前からフランスの画家の画集の解説を書き、多数の美術エッセイを著した。
戦後は、日本美術会の委員長としても活動する傍ら、『美術手帖』、『アトリエ』、『みづゑ』、『三彩』、『美術批評』、『芸術新潮』といった美術系雑誌ばかりでなく、文芸誌の『群像』や総合誌の『中央公論』、『文藝春秋』、『世界』などに名画解説やエッセイを発表。誌上座談会の出席者としても活躍した。
晩年、石川県加賀市に移り住み、九谷焼の創作に没頭した。
==経歴==

*1895年11月14日東京市生まれ。慶應義塾普通部中退。大下藤次郎の日本水彩画会研究所でまなぶ。
*1912年、第1回ヒュウザン会展に水彩画「雨」を出品〔一水会とは 創立者プロフィール 一水会サイト〕。
*1916年、療養のため鵠沼海岸の別荘に居住。
*1921年鵠沼在住の岸田劉生を訪問。フランス留学のため鵠沼海岸を離れる。
*1926年春陽会会員に推挙される〔。
*1928年、ロゾラン・アデリア・エルビラ(イタリア系フランス人)と結婚。
*1929年、フランスから帰国、再び鵠沼海岸に居住。近所の長谷川路可と交流。
*1931年、日本版画協会創立に参加〔。
*1933年二科会会員に推挙。春陽会退会後、再度フランスに渡る。アンリ・マティスと親交〔。
*1936年、二科会を退会し、一水会の創立に参加〔。
*1944年東京美術学校助教授に就任〔。
*1946年日本美術会の創立に参加。
*1947年、第1回美術団体連合展に「ムッシュ・ボナティ」出品。日本美術会委員長に就任。翌年12月まで〔日本美術会と日本アンデパンダン展の略歴 日本美術会サイト内〕。
*1950年、フランス行きのため東京芸術大学(東京美術学校)を辞任。日本での「マチス展」「ピカソ展」「ブラック展」の開催の交渉に成功する〔。
*1956年5月、日本美術会の委員長に選ばれる(事務局長永井潔)〔。
*1957年2月、日本美術会の委員長に選ばれる(事務局長中島保彦)〔。
*1959年一水会陶芸部を酒井田柿右衛門等と創立する〔。
*1976年和歌山県文化功労章を受ける〔。
*1986年加賀市に硲伊之助美術館開館。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「硲伊之助」の詳細全文を読む




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