翻訳と辞書
Words near each other
・ 砂田実
・ 砂田弘
・ 砂田徹
・ 砂田早紀
・ 砂田橋駅
・ 砂田毅樹
・ 砂田町
・ 砂田登志子
・ 砂田貴裕
・ 砂田遥
砂田重政
・ 砂田重民
・ 砂田麻美
・ 砂男
・ 砂男 (小説)
・ 砂町
・ 砂町 (さいたま市)
・ 砂町 (江東区)
・ 砂町水再生センター
・ 砂町銀座


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

砂田重政 : ミニ英和和英辞書
砂田重政[すなだ しげまさ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important
: [せい, まつりごと]
 【名詞】 1. rule 2. government 

砂田重政 : ウィキペディア日本語版
砂田重政[すなだ しげまさ]

砂田 重政(すなだ しげまさ、1884年9月15日 - 1957年12月27日)は、日本政治家。1955年、自由民主党結党時の防衛庁長官
== 来歴・人物 ==
愛媛県生まれ。1904年東京法学院(現・中央大学)を卒業後、司法官補を経て、弁護士を開業する。1920年立憲国民党から旧兵庫1区にて衆議院議員に初当選。以後当選10回。犬養毅に師事し、立憲国民党→革新倶楽部立憲政友会と渡り歩く。犬養内閣にて農林政務次官に就任。犬養亡き後は、政務次官時代に大臣として仕えた山本悌二郎派に身を寄せる。1936年より選挙区を兵庫県から出身地の愛媛県に鞍替えする。1937年には宇垣一成首班工作に携わった。政友会幹事長(1938年1939年)を経て、1939年の政友会分裂では鳩山一郎を支持して久原派に所属する。
政党解消後は大政翼賛会に入り、議会局審査部長などを務める。1942年には中央政界を離れ、南方軍軍政顧問としてシンガポールに赴任する。戦後は公職追放期間を経て、1952年に旧愛媛2区から自由党から当選し復活を果たすも、翌1953年には落選した。1955年には日本民主党から当選し、三木武吉の要請で党国会対策委員長となる。同年第2次鳩山内閣にて防衛庁長官として入閣。保守合同後は自由民主党で総務会長を務める。
自民党では河野一郎派の客分格であったが、後輩の風下に立つのは潔しとしなかったのか、かなり金銭的に無理をして「砂田派」(宜軒会)を立ち上げた。傘下には池田正之輔浜野清吾らがいたが、すぐに亡くなったため、砂田派の存在が数えられないことが多い。また晩年には全国戦争犠牲者援護会会長を務め、千鳥ケ淵戦没者墓苑の建設に熱心に取り組んでいた〔〕。
1957年12月27日、心臓麻痺のため73歳で死去〔服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)15頁〕。地盤は長男の砂田重民が引き継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「砂田重政」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.