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石黒敬七 : ミニ英和和英辞書
石黒敬七[いしぐろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
: [しち]
  1. (num) seven 

石黒敬七 : ウィキペディア日本語版
石黒敬七[いしぐろ]
石黒 敬七(いしぐろ けいしち、1897年8月10日 - 1974年10月1日〔日外アソシエーツ現代人物情報〕)は、日本の柔道家、随筆家、古写真収集家。新潟県柏崎市出身〔。早稲田大学政治経済学部卒業〔。
徳川夢声が創設した「ゆうもあくらぶ」の二代目会長〔http://www.yumoa.jp/cn4/soshiki.html〕。レジオンドヌール勲章受章者〔。長男は写真コレクションを引きついだ石黒敬章〔http://ovninavi.com/731diaspora/〕。
==経歴==
父親は越後縮布の行商人で、七男なので敬七と名づけられる〔。
中学時代から柔道に熱を入れ、18歳で講道館に入門、早稲田大学では柔道部の主将を務めた〔。1922年(大正11年)に早稲田大学を卒業。1924年(大正13年)柔道普及のため海外周遊に出発、フランス、英国、トルコ、エジプトなどの陸軍・警察で柔道を教え、ルーマニアでは国王から王冠章を授与された〔。
1933年(昭和8年)帰国、講道館審査員となり、また『文藝春秋』の「風流座談会」のメンバーになったのが縁で、その語り口が社長兼編集長の菊池寛の目に止まり、文藝春秋社の客員ともなった〔。1946年(昭和21年)講道館8段。得意技は小内刈釣込腰で、特に空気投が名高い〔。
1949年(昭和24年)、NHKラジオ第1放送の「とんち教室」に出演、ユーモアあふれる解答で一躍日本中にその名を知られ〔、「石黒旦那」と呼ばれるようになる。文化人としても日本パイプクラブ日本空飛ぶ円盤研究会日本宇宙旅行協会ゆうもあクラブなど多くの団体に参加、火星に分譲された土地の地主代表など肩書も多い〔。
時計、遠眼鏡、地図、パイプなど様々なものを蒐集、中でも写真機及び写真のコレクター・研究家としての収穫は『写された幕末』(全3冊)に結実した〔。他の著作に『蚤の市』『巴里雀』『旦那の遠めがね』『柔道千畳敷』などがある〔。
郷里の柏崎にそのコレクション2万3000点を集めた「石黒旦那ユーモア・コレクション・とんちン館」(柏崎市農林漁業資料館)がある〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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