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石重貴 : ミニ英和和英辞書
石重貴[せき じゅうき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [おも]
  1. (adj-na,n) main 2. principal 3. important

石重貴 : ウィキペディア日本語版
石重貴[せき じゅうき]

石 重貴(せき じゅうき)は五代後晋の第2代皇帝。
== 生涯 ==
高祖石敬瑭の甥として太原に生まれた。天福元年(936年)に叔父に従って洛陽に入り北都留守に、天福6年(941年に斉王に任じられた。
天福7年(942年)6月に高祖が崩御したことにより即位、開運と改元した。在位中は害が各地で発生し、逃戸飢民が大量に発生した。また景廷広の建議により契丹への臣下の礼を廃し、契丹に対し対決姿勢を明確にした。これに対して後晋に侵攻した契丹軍を2度にわたり防いだが、開運3年(946年)の3度目の侵攻で開封は陥落、出帝は契丹軍に降伏した。降伏した石重貴は太宗から負義侯に封じられ、北方に連れ去られて後に建州で没している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石重貴」の詳細全文を読む




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