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石子順造 : ミニ英和和英辞書
石子順造[いしこ じゅんぞう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こく, いし]
 【名詞】 1. volume measure (approx. 180l, 5 bushels, 10 cub. ft.) 
: [こ, ね]
 (n) first sign of Chinese zodiac (The Rat, 11p.m.-1a.m., north, November)
: [じゅん]
  1. (adj-na,n,n-suf) order 2. turn 

石子順造 : ウィキペディア日本語版
石子順造[いしこ じゅんぞう]

石子 順造(いしこ じゅんぞう、1928年10月12日 - 1977年7月21日)は、美術評論家、漫画評論家。東京都出身。本名は木村泰典。
戦前の前衛、アングラ芸術、デザイン、漫画などを対象に評論活動を展開し、独自の見解を示す。日本の漫画評論においては先駆け的存在であった。
== 経歴 ==
東京大学経済学部卒、同大学院と文学部美学在籍。1956年静岡県清水市の物流会社である鈴与倉庫に入社。営業課に籍を置くかたわら、評論活動を開始する。
1960年、画家の伊藤隆史鈴木慶則らと評画誌『フェニックス』を創刊。
1964年鈴与(鈴与倉庫の親会社)総務部を退社し上京。本格的に評論活動を開始。池田龍雄論などを展開。
1967年には、菊地浅次郎(山根貞男)、梶井純権藤晋と、日本初の漫画評論同人誌「漫画主義」を創刊。白土三平つげ義春水木しげる等を評論の対象とした。
また、1974年の著書、『キッチュの聖と俗』は、当時、キッチュ的な題材を作品に取り込んでいた、横尾忠則赤瀬川原平らと共鳴する内容であった。
現代美術のジャンルでは、「トリックス・アンド・ヴィジョン:盗まれた眼」展(1968年)東京画廊・村松画廊を中原佑介(美術評論家)と共同企画し、「第9回現代日本美術展」(1969年)の第三部門(コンクール)洋画(油彩・水彩・デッサン・版画)部門の審査員のひとりであった。
49歳で早逝。病床の石子はしきりにつげ義春に会いたがった〔『つげ義春日記』p.49〕。
死後に『コミック論』『キッチュ論』『イメージ論』の著作集全3巻がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「石子順造」の詳細全文を読む




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