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目黒電波測器 : ミニ英和和英辞書
目黒電波測器[めぐろでんぱそっき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [め, もく]
 【名詞】 1. (1) item 2. division 3. class 4. (2) piece (in Go)
: [くろ]
 【名詞】 1. (1) black 2. (2) dark 
電波 : [でんぱ]
 【名詞】 1. electro-magnetic wave 
: [なみ]
 【名詞】 1. wave 
: [うつわ]
 【名詞】 1. (1) bowl 2. vessel 3. container 4. (2) ability 5. capacity 6. calibre 7. caliber 

目黒電波測器 : ウィキペディア日本語版
目黒電波測器[めぐろでんぱそっき]

株式会社目黒電波測器(めぐろでんぱそっき)は、神奈川県川崎市幸区に本社を置く、各種電子計測器の設計・開発、製造、販売及び輸出入する企業である。
==沿革==
目黒電波測器株式会社は1944年、電子計測器関連の製造を行っていた二村雪郎の二村電機製作所と、土橋式トーキーで知られる土橋晴夫の土橋電波測器が合併して東京都目黒区中央町に成立した。1951年からは本格的に電子計測器を手がけるようになり、米軍放出品に対抗して国産の計測器生産に取り組んだ〔「会員会社紹介 目黒電波測器株式会社」『電子工業月報』第15巻第4号、日本電子工業振興協会、1973年4月、40-41ページ。〕。1970年代はオーディオブームを背景に関連企業からの引き合いが多く、フル操業の状態が続くこともあった〔「目黒電波測器、フル操業続く 信号発生器の注文殺到 トランシーバーブームで 今期、売り上げ更新へ」『日経産業新聞』昭和51年3月12日付4面。〕。
1980年代に入るとオーディオブームも一段落し、目黒電波測器はビデオ用の計測器の開発に着手してオーディオ一辺倒からの脱却を図るとともに〔「ビデオ用計測器に力 目黒電波測器 音響向け一巡で」『日経産業新聞』昭和56年(1981年)10月9日付5面。〕、浜松に営業所を設置して関連企業の多い東海地域向けの営業を強化した〔「目黒電波測器、浜松に営業所開設」『日経産業新聞』昭和56年(1981年)12月9日付5面。〕。しかしオーディオ依存の体質は変わらず、1981年6月決算では1億5500万円の経常損失を記録した。再建のため、目黒電波測器は岩崎通信機の資本参加を受けることになった〔「岩通、株50%持つ 目黒電波測器の再建支援」『日経産業新聞』昭和57年(1982年)5月20日付5面。〕。岩崎通信機は目黒電波測器に役員を派遣〔「専務で資材部長派遣 岩通 目黒電波測器立て直し」『日経産業新聞』昭和57年(1982年)7月9日付23面。〕、目黒電波測器の販売網が手薄な北海道や九州では販売でも協力を行うなど〔「岩通の目黒電波測器支援 製品販売へも拡大」『日経産業新聞』昭和58年(1983年)1月29日付5面。〕、支援を試みた。
ところが1983年6月、輸出オーディオ専門メーカーのユニセフが岩崎通信機保有株を譲り受け、目黒電波測器はユニセフのグループ企業に転じることとなった〔「国内市場と情報機器進出へ2社翼下に ユニセフ」『日経産業新聞』昭和58年(1983年)6月16日付6面。〕。同年、ユニセフは東証一部上場のオーディオメーカー、クラウンも買収しており、以降はクラウングループと呼ばれるようになった。クラウン傘下で目黒電波測器は業績を急回復、1984年6月決算では売上35億、経常利益2億円の黒字となった〔「62年夏メドに上場申請 目黒電波測器、東証2部へ」『日経産業新聞』昭和59年(1984年)10月24日付11面。〕。この時期、業務拡大を狙って開発部門を再編するとともに〔「技術部門を4分割 目黒電波測器 業容拡大へ布石」『日経産業新聞』昭和61年(1986年)11月17日付11面。〕、韓国へも進出した〔「五輪需要を狙え! 目黒電波測器 韓国へ販促部隊 ワゴンカーを使い各地で展示や修理」『日経産業新聞』昭和61年(1986年)12月22日付11面。〕。
しかし1991年9月、パソコンシステム開発のNBCCが目黒電波測器の株式を取得、目黒電波測器は再びオーナーを変えることになった。NBCCは工場を持つ目黒電波測器との合併で上場を目指していたが、不良在庫の発生で資金繰りが悪化し、1992年3月に自己破産を申請することになった〔井上隆司「目黒電波測器 倒産の舞台裏 目算が狂ったクラウンからNBCCへのM&A」『中小企業』第220号、全国中小企業団体連合会、1992年10月、20-21ページ。〕。このあおりを受け、目黒電波測器も1992年8月に2度目の不渡りを出し、倒産〔「目黒電波測器が2度目の不渡り」『日経産業新聞』1992年8月25日付9面。〕、会社整理のため全従業員に自宅待機が命じられた〔『日刊工業新聞』2001年12月14日付5面。〕。労組が社屋を占拠し未払い賃金の支払いを求める事態の中〔『しんぶん赤旗』2000年12月21日付8面。〕、業務継続を望む一部の従業員が倉庫を事務所に新会社「株式会社目黒電波測器」を設立した。当初は在庫製品の販売やメンテナンスが業務であったが、1994年には新製品を投入、2001年3月期には売上高8億を記録した〔『日刊工業新聞』2001年12月21日付5面。〕。
*1944年(昭和19年) - 二村電機製作所と土橋電波測器の合併により設立。電子工業用測定器を専門に製造と販売を開始。
*1992年(平成4年) - 業務停止。旧目黒電波測器株式会社(1992年8月17日業務停止)製品の校正・サービス業務、並びに製造・販売を主業務として新会社として設立。
*1995年(平成7年) - 社新社屋完成・移転。
*2005年(平成17年) - 本社事務所が手ぜまとなり、将来の規模拡大を考慮し現在の川崎市幸区へ本社を移転〔『日刊工業新聞』2005年10月5日付20面。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「目黒電波測器」の詳細全文を読む




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