翻訳と辞書
Words near each other
・ 町並
・ 町並み
・ 町並み保存
・ 町中
・ 町中大輔
・ 町井一家
・ 町井久之
・ 町井勲
・ 町井徹郎
・ 町井正登
町井清兵衛
・ 町井登志夫
・ 町井美紀
・ 町亜聖
・ 町亞聖
・ 町人
・ 町人代
・ 町人根性
・ 町人気質
・ 町人物


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

町井清兵衛 : ミニ英和和英辞書
町井清兵衛[まちい せいべえ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まち]
 【名詞】 1. (1) town 2. (2) street 3. road 
: [い]
 【名詞】 1. well 
: [へい]
 【名詞】 1. (1) (common) soldier 2. rank and file 3. (2) army 4. troops 5. (3) warfare 6. strategy

町井清兵衛 : ウィキペディア日本語版
町井清兵衛[まちい せいべえ]
町井 清兵衛(まちい せいべえ、生没年不詳)は戦国時代豪族。父は伊賀国地頭木興城主で伊賀十二人衆の一人である町井左馬允(まちいさまのすけ)貞之。町井左馬允とも呼ばれる事があるが、文献においては父貞之の官途名と混同されている可能性がある。名は貞信とも貞正ともあり曖昧。
== 経歴 ==
伊賀の出身で、木興庄(現伊賀市中央部)の地頭で木興城主。父貞之の次男として生まれる。天正年間には、仁木氏の一族仁木友梅を伊賀守護に迎え、伊賀国の評定衆である伊賀十二人衆の一人として取り仕切った。
伊賀国に脅威を覚えた織田信長は、次男の織田信雄に命じて天正7年(1579年)に伊賀攻めを行わせた。信雄の拙い指揮もあって織田軍を撃退したが、天正9年(1581年)に信長自ら5万の大軍を率い侵攻を受ける。
これに対して父貞之は居城木興城に籠城し、「木興のなで切り」と言われる討死をとげるが清兵衛は戦いの前に梅津但馬房次を附けられ、比自山城に籠もって抵抗した(比自山城の戦い天正伊賀の乱)。
その後の活動は不明である。なお、子孫は現在の伊賀市枡川に土着し、江戸時代津藩大庄屋となった。その住宅は現在重要文化財となっている。
なお、弟町井貞直の息子町井貞昌藤堂高虎伊勢移封時に召抱えられ、子孫は鉄砲役・道奉行などを務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「町井清兵衛」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.