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田中康夫 : ミニ英和和英辞書
田中康夫[たなか やすお]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [なか]
 【名詞】 1. inside 2. middle 3. among 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

田中康夫 : ウィキペディア日本語版
田中康夫[たなか やすお]

田中 康夫(たなか やすお、1956年4月12日 – )は、日本政治家作家新党日本代表。愛称はヤッシー
衆議院議員(1期、2012年落選)、参議院議員(1期、2009年衆院鞍替による自動失職)、長野県知事(民選第15・16代、2006年落選)を歴任。
父が非常勤講師を務めていた関係で松本歯科大学客員教授(入門歯科医学I担当)を務めたことがある〔田中知事、松本歯科大客員教授に/長野県 IDN 歯科関連ニュース。〕。
== 来歴 ==

===生い立ち===
1956年4月12日東京都武蔵野市に生まれる。本籍地静岡県庵原郡富士川町(現・富士市)〔田中康夫の東京ペログリ日記リターンズ 2007年9月3日の記述 参照(以下日付のみの際は同日記から)〕。父の田中博正(心理学者)が信州大学教授に就任した為、1964年4月に家族全員で長野県上田市に、さらに1966年には松本市に引っ越し、信州大学教育学部附属松本小学校に転入し卒業。1969年4月、信州大学教育学部附属松本中学校に入学。在学中は、初代サッカー部部長を務めた。
1975年3月、長野県松本深志高等学校を卒業。高校3年次在学中、東京大学教養学部文科2類を受験。英語国語数学が得意科目であった一方、歴史の知識問題などは、そのような分野で点数をとるのは邪道と勉強を放棄した。東大受験前に受けた模擬試験「東大オープン」では、英語、国語、数学、地理、歴史等の全科目の総合得点で全国80位程度、英語だけなら全国3位という好成績であった〔有名人が語る受験必勝法 一橋大法学部合格、新党日本代表・田中康夫氏:直撃インタビュー:社会特集:スポーツ報知 スポーツ報知〕が、本試験の結果は不合格だった。そのため、同年3月、上京し、東京の駿台予備学校で浪人生活を送る。この際、駿台文庫の『基本英文700選』を愛用し、後に著書『田中康夫の大学受験講座』(1988年、マガジンハウス)においても同書を激賞している。この予備校時代は、服などブランドものを買いあさる生活を送った。この日々が後に、大学在学中に執筆し、作家デビュー作となった『なんとなく、クリスタル』(文藝賞受賞)のモチーフとなっている〔。
1976年4月一橋大学法学部入学。しばしば田中は著書内で法学部出身であることを表す際に「方角を間違えて阿呆学部に入った僕は…」との表現を用いる。法学部後期には国際政治学の細谷千博教授のゼミナールに所属。政治学者の井上寿一学習院大学学長はゼミの同期で、BS11「田中康夫のにっぽんサイコー!」にしばしば出演する。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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