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玉置吉之丞 : ミニ英和和英辞書
玉置吉之丞[たまき きちのじょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たま, だま, ぎょく]
  1. (n,n-suf) ball 2. sphere 3. coin
: [これ]
 (int,n) (uk) this

玉置吉之丞 : ウィキペディア日本語版
玉置吉之丞[たまき きちのじょう]

玉置 吉之丞(たまき きちのじょう、1886年8月11日 - 1961年4月7日)は、日本政治家実業家
== 経歴 ==
1886年8月11日和歌山県名草郡内海村で吉田万右衛門の三男として生まれる。1902年に渡米し、1909年まで南カリフォルニア大学政治経済学を学んだ。
帰国後、玉置きくのの養子となり、玉置綿布工業社を創立し、事業を拡大して1919年には株式会社組織に改組して社長となる。和歌山県織物同業組合長、和歌山県織物工業組合理事長、日本綿織物工業組合連合会理事を務めて業界の発展に貢献する傍ら、南海瓦斯興業株式会社監査役、内海紡績株式会社常務取締役、玉置綿布染工株式会社社長、昭南工業株式会社社長を兼ねて地元の実業界にも貢献した。
1915年、内海町議会議員に当選した。また、海草郡会議員、和歌山県商工経済会会頭、和歌山県商工会議所を歴任した。1927年には和歌山県議会議員に海草郡から選出されて2期4年務め、任期中の1931年10月には和歌山県参事会員に選ばれている。
1932年第18回衆議院議員総選挙立憲政友会から出馬し、当選したため和歌山県議会議員を辞職した。衆議院議員を2期務めた後、戦後の第1回参議院選挙和歌山地方区から出馬し、元貴族院議員で紀州徳川家当主・徳川頼貞に次ぐ75,383票を獲得して当選する。しかし、第2回参議院選挙では新人の永井純一郎に敗れて政界から引退した。
政界引退後は地元の実業界に復帰し、1951年に創立された海南商工会議所では会頭を6期連続で務めるなど存在感を示した。また、和歌山県教育協会会長、海外引揚援護協会会長をはじめとする公職も務めた。1956年4月には織物染色を海外へ進出させた功で藍綬褒章を受章した。
1961年4月7日、死去。享年76(満74歳没)。生前の功により正五位勲三等旭日中綬章を追贈された。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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