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片岡市女男 : ミニ英和和英辞書
片岡市女男[おとこ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [こう, おか]
 【名詞】 1. hill 2. height 3. knoll 4. rising ground
: [し]
  1. (n-suf) city 
: [じょ]
 【名詞】 1. woman 2. girl 3. daughter
: [おとこ]
 【名詞】 1. man 

片岡市女男 ( リダイレクト:阿部正三郎 ) : ウィキペディア日本語版
阿部正三郎[あべ しょうざぶろう]

阿部 正三郎(あべ しょうざぶろう、1912年1月15日 - 1940年代)は、日本の俳優である〔キネマ旬報社, p.18-19.〕〔''阿部正三郎''、''jlogos.com'', エア、2013年2月14日閲覧。〕〔''阿部正三郎''日本映画データベース、2013年2月14日閲覧。〕〔''阿部正三郎''、日本映画情報システム、文化庁、2013年2月14日閲覧。〕〔''阿部正三郎''、映連データベース、日本映画製作者連盟、2013年2月14日閲覧。〕〔''阿部正三郎''allcinema, 2013年2月14日閲覧。〕〔''阿部正三郎''東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年2月14日閲覧。〕。本名阿部 正太郎(あべ しょうたろう)〔蒲田, p.61.〕、旧芸名片岡 市女男(かたおか しめお)〔〔。1930年代の松竹蒲田撮影所において、磯野秋雄、三井秀男(のちの三井弘次)との「与太者トリオ」で知られる〔〔。
== 人物・来歴 ==

=== 新派と旧劇 ===
1912年明治45年)1月15日東京府東京市浅草区阿部川町(現在の東京都台東区元浅草3-4丁目)に生まれる〔〔。生年月日については、『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』には同年「2月15日」とされている〔。父・阿部三之助は、芝居関係の仕事をしていた人物であるとされる〔。
数え年9歳になった1920年(大正9年)、父の仕事をきっかけに、新派河合武雄一座に入門し、九州巡業で初舞台に立つ〔〔。巡業を終えて東京に戻ると、次には伊井蓉峰一座に参加、本郷区春木町(現在の文京区本郷3丁目)の本郷座京橋区木挽町(現在の中央区銀座4丁目12番15号)の歌舞伎座日本橋区久松町(現在の中央区日本橋浜町2丁目31番1号)の明治座での新派劇に出演し〔〔。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』では、この時点で旧劇(歌舞伎)の四代目澤村源之助一座に参加、名古屋御園座に出演していたとする〔。
満11歳となった1923年(大正12年)8月には、浅草公園六区公園劇場(現存せず)で上演された『己が罪』で伏見信子と共演している〔〔。同年9月1日に起きた関東大震災以降は、新劇の流れをくむ新派から一転して旧劇に転向、尾上菊右衛門一座に入門した〔〔。このとき「片岡 市女男」と改名、新潟佐渡への巡業に参加した〔〔。『一九三三年版 オール松竹俳優名鑑』によれば、『己が罪』での伏見信子との共演は河合武雄一座によるものとし、公演時期を震災復興後の時期としており、その時点で「片岡市女男」を名乗っていたとする〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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