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清崎駅 : ミニ英和和英辞書
清崎駅[きよさきえき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みさき]
 (n) cape (on coast)
: [えき]
 【名詞】 1. station 

清崎駅 : ウィキペディア日本語版
清崎駅[きよさきえき]

清崎駅(きよさきえき)は、愛知県北設楽郡設楽町にかつて存在した豊橋鉄道田口線(旧・田口鉄道)の。北設楽郡田口町(1956年以降設楽町)にあった駅の一つである。
== 歴史 ==
清崎駅は1930年昭和5年)12月10日、田口鉄道により開設された〔『日本鉄道旅行地図帳』7号、pp37-38〕〔『鳳来町誌』田口鉄道史編、p64〕。
田口鉄道は、現在のJR飯田線本長篠駅と設楽町を結んだ鉄道である。三河海老駅を終点としていた同鉄道の第一期線に続いて第二期線が開通したとき、この清崎駅が新たな終着駅となった。三河田口駅までの第三期線が開通し、田口鉄道が全通したのは2年後の1932年(昭和7年)である〔『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp58-59〕。
駅の置かれた清崎は、豊橋長野県飯田を結んだ伊那街道沿いの地域である。街道の宿場として栄えた旧萩平村(愛知県立田口高等学校周辺)を含む地域であるが、駅は南部の東田内地区に立地した〔『角川日本地名大辞典』23、p490,1906-1907 および『設楽町誌』村落誌、p364〕。
1956年(昭和31年)10月1日、田口鉄道が豊橋鉄道に合併されたため豊橋鉄道田口線の駅となる。それから8年後の1964年(昭和39年)、豊橋鉄道は赤字の拡大を理由に田口線の廃止を決定、沿線自治体などとの協議を開始した〔『鳳来町誌』田口鉄道史編、pp161-162〕。その最中の1965年9月17日から翌18日にかけて襲った台風台風24号)の被害で、清崎・三河田口間が不通、バス代行となってしまう〔『鳳来町誌』田口鉄道史編、p166,186〕(同区間は1966年(昭和41年)10月1日より休止〔)。同区間も含めて田口線は1968年(昭和43年)9月1日付で全線廃止される〔が、その直前の8月29日に再度台風(台風10号)で被災し、今度は田峯駅から清崎駅までの区間が線路破壊により不通となり、最終営業日は三河海老駅から先の区間は運転していなかった〔『鳳来町誌』田口鉄道史編、p186〕。
廃線となった田口線はバスに転換された。2012年現在、田口線があったルートに沿って走るバスは豊鉄バス田口新城線である。設楽町清崎には、駅名と同じ「清崎」という名のバス停がある〔Mapion電話帳 滝上バス停 、2012年9月17日閲覧〕。駅の跡地は国道257号清崎交差点の南方で、線路跡は国道に取り込まれている〔『新鉄道廃線跡を歩く』3、p133〕。駅名標が廃止後も残っていたが、1997年(平成9年)に撤去された〔『消えた轍』3、p126〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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