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涌井秀章 : ミニ英和和英辞書
涌井秀章[わくい ひであき]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [しょう, あきら]
 【名詞】 1. (1) chapter 2. section 3. (2) medal 

涌井秀章 : ウィキペディア日本語版
涌井秀章[わくい ひであき]

涌井 秀章(わくい ひであき、1986年6月21日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手投手)。
== 経歴 ==

=== プロ入り前 ===
松戸市立寒風台小学校時代はソフトボールをしており(寒風台ソフトボールチームに所属)、野球は松戸市立第六中学校に進学後のシニアリーグ(松戸シニア)で始めた。その後横浜高等学校に進学。
入学時から松坂大輔二世と呼ばれていた。高校2年春に第75回選抜高等学校野球大会に1学年上のエース成瀬善久らと共に出場。準決勝までは成瀬のリリーフとして登板。決勝戦では先発したが、広陵高の打線につかまり3-15と大敗した。
第85回全国高等学校野球選手権大会神奈川大会では3回戦の港北高戦で成瀬に代わり先発を務めたが、ノーシード高相手にリードを許す苦しい展開となり成瀬の休養に失敗。9回逆転で辛くも勝ち上がるが準々決勝の桐蔭学園戦では延長戦となるなど、決勝進出は果たしたものの疲労はピークに達しており、3年生エース給前信吾、2年生の田澤純一を擁する横浜商大高校に敗れ春夏連続出場を逃した。
3年夏には第86回全国高等学校野球選手権大会に同期の石川雄洋や2年後輩の福田永将らと出場。1回戦の報徳学園戦では片山博視から本塁打を放つなど打撃でも勝利に貢献し、2回戦の京都外大西戦は、延長戦にもつれ込んだが幾度と訪れた大ピンチの場面も我慢のピッチングで乗り切り完封勝利。肉体的にも精神的にもスタミナのある面を披露。3回戦の明徳義塾戦は中田亮二に本塁打を浴びるなど序盤に失点するも後半粘りのピッチングを披露し逆転勝利、この試合では松下建太に投げ勝つ。準々決勝の駒大苫小牧戦は林裕也にサイクル安打を浴びるなどして完敗した。
第59回国民体育大会では、初戦の駒大苫小牧戦で14三振を奪って完投勝利を収め、決勝ではダルビッシュ有の東北高校を下し優勝している。
高校時代の涌井について、横浜高の野球部長・小倉清一郎は「松坂よりも我慢し、辛い練習に耐え、乗り越えてきた」と称賛。その後、甲子園で147km/hを計測した涌井を見た松坂大輔は、「相当な努力をしたと思う」と評価した。最速148km/hのストレートとスライダーを投げ、2004年ドラフト西武ライオンズから、単独で1巡目指名を受けた。西武に対する印象を聞かれ「松坂さんと同じチームで出来るのでとても嬉しい、西武に行きたかった」と答えている。また小倉部長は「最高のチームが指名してくれた」と語った。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「涌井秀章」の詳細全文を読む




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