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浅間高原自動車テストコース : ミニ英和和英辞書
浅間高原自動車テストコース[あさまこうげんじどうしゃてすとこーす]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [けん, ま]
 【名詞】 1. space 2. room 3. time 4. pause 
: [たか]
 【名詞】 1. quantity 2. amount 3. volume 4. number 5. amount of money 
高原 : [こうげん]
 【名詞】 1. tableland 2. plateau 
: [はら, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation
自動 : [じどう]
  1. (adj-na,n) automatic 2. self-motion 
自動車 : [じどうしゃ]
 【名詞】 1. automobile 
: [どう]
 【名詞】 1. motion 2. change 3. confusion 
: [くるま]
 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

浅間高原自動車テストコース : ウィキペディア日本語版
浅間高原自動車テストコース[あさまこうげんじどうしゃてすとこーす]

浅間高原自動車テストコース(あさまこうげんじどうしゃテストコース)とは、群馬県浅間山麓に存在していたレースコース(サーキット)。日本初のメーカー参加レースである全日本オートバイ耐久ロードレース(通称:浅間火山レース)の舞台となった。ただし第1回浅間火山レース(1955年)の時点ではまだコースが完成しておらず、北軽井沢の公道を封鎖してレースが行われた。
== 歴史 ==
昭和31年(1956年)6月、国内2輪製造19メーカーによる「社団法人浅間高原自動車テストコース協会」が設立された。コースが設けられたのは群馬県と嬬恋村が所有していた土地牧草地)で、テストコース協会と通産省(当時)が建設費を負担し、群馬県と嬬恋村から土地を借りる形でコース建設が始まった。
テストコース協会設立に参加したメーカーは、ホンダトーハツスズキトヨモーターメグロクルーザーポインターヤマハライラックヘルスアストンマーティンメイハツツバサラビット、アサヒ陸王、フジDSKホスクの19社である。
昭和32年(1957年)7月にコースが完成した。よって実際に浅間火山レースの舞台として用いられたのは、第2回(1957年10月)と第3回(1959年)のことである。
浅間高原自動車テストコース協会は1978年に解散。2輪車メーカーが4社にまで減り、群馬県から土地の返還を求められていたのが要因とされる。以降はテストコースとして用いられることもなくなった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「浅間高原自動車テストコース」の詳細全文を読む




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