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洞川鉄索 : ミニ英和和英辞書
洞川鉄索[ほらがわ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ほら, どう]
 【名詞】 1. cave 2. den 3. grotto 
: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [てつ]
 【名詞】 1. iron 
鉄索 : [てっさく]
 【名詞】 1. cable 2. wire rope 3. cableway
: [さく]
 【名詞】 1. rope 2. cord

洞川鉄索 ( リダイレクト:洞川電気索道 ) : ウィキペディア日本語版
洞川電気索道[どろがわでんきさくどう]
洞川電気索道(どろがわでんきさくどう)または洞川索道、洞川鉄索(どろかわてっさく)は、かつて存在した物資専用索道会社。奈良県吉野郡大淀町天川村洞川を結んだ。付近を並行して走っていた日本鋼管(現:JFEホールディングス)の鉱石運搬専用の索道についても述べる。
==概要==
紀伊山地に位置し深い山々に囲まれた奈良県南部(吉野郡)は、明治に入ると馬車などが通れるような山越えの道路が整備され始める。しかし、険しい山越えの道は大量に物資を運ぶにはまだまだ不十分であった。そのため大量の物資を確実に運ぶために下市町、丹生村(今の下市町)、黒滝村天川村の有志、また大阪や国中(奈良盆地)に住む山持ち(地主)らが資金を出し合い1913年大正2年)に「株式会社洞川鉄索」を設立する(資本金約25万円)〔下市町史〕〔黒滝村史では大正元年12月設立、大正3年12月に工事完了とある。翌年(大正4年)から運転が開始されたようだ〕〔『帝国銀行会社要録 : 大正2年度(第2版)』 (国立国会図書館デジタルコレクション)では洞川電気索道株式会社〕。索道は当初、洞川から現在の下市町立下市中学校あたりまでを結んでいたが、1917年(大正6年)には、吉野川(紀の川)を越えて大淀町の下市口駅付近まで延長され、延長12哩の路線が全通した〔『日本近代の架空索道』184頁〕。洞川からは産出される木材が運び出され、下市からは生活物資が洞川へと運び込まれ、1日に何十トンもの物資が運搬されたという。その後、道路が整備されトラックによる輸送が発達すると1934年(昭和9年)に撤去される。
経由地は以下の通り。なお、運送賃は米1俵20銭、炭1俵12銭だった。
*洞川-川合-笠木-桂原-長瀬-広橋峠-善城-下市-下市口駅付近
なお、経由地には駅が設けられ、駅へと通ずる道が作られた〔。また笠木駅から宗桧村の川股鉱山(五條市西吉野町西日裏付近)まで支線を設けて鉱石の運搬も数年間行っていた〔黒滝村史〕。
第五期営業報告書による大正4年2月から5月までの長瀬駅と笠木駅の取扱貨物量は以下の通りだった。括弧内は収入〔。
*長瀬駅
:2月 18,235貫(56.560円)
:3月 10,060貫(51.810円)
:4月 7,530貫(34.930円)
:5月 24,159貫(110.925円)
*笠木駅
:2月 22,714貫(84.900円)
:3月 17,350貫(85.535円)
:4月 29,699貫(156.465円)
:5月 25,007貫(136.690円)

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「洞川電気索道」の詳細全文を読む




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