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河合弘道 : ミニ英和和英辞書
河合弘道[かわい ひろみち]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [かわ]
 【名詞】 1. river 2. stream 
: [ごう]
 【名詞】 1. go (approx. 0.18l or 0.33m) 

河合弘道 : ウィキペディア日本語版
河合弘道[かわい ひろみち]

河合 弘道(かわい ひろみち、明治40年(1907年11月3日 - 平成3年(1991年))は日本政治家。元鳥取県米子市長。元金光教米子教会長。
== 経歴 ==
米子町(現在の米子市)道笑町に生まれる〔『勝田ヶ丘の人物誌』(編集・勝田ヶ丘の人物誌編集委員会、発行・鳥取県立米子東高等学校創立百周年記念事業実行委員会 2000年、418頁)〕。
明道校から米子中学校(現在の米子東高校)へ進学する〔。
昭和6年(1931年日大社会学科卒業〔『新日本人物大観』(鳥取県版)1958年 カ…109頁〕。同大学社会学研究室助手となり、やがて講師、次いで昭和13年(1938年)予科の教授となる〔。
昭和21年(1946年)故郷米子に帰り〔、金光教米子教会長に就任〔『第廿一版 人事興信録 昭和36年(1961年)、か一六七〕。
戦後のすさんだ人々の心を導くと共に、社会教育の振興に取り組んだ〔『勝田ヶ丘の人物誌』(編集・勝田ヶ丘の人物誌編集委員会、発行・鳥取県立米子東高等学校創立百周年記念事業実行委員会 2000年、419頁)〕。中でもボーイスカウトの再建、児童福祉施設わかば園の経営などの活動を通じて、次第に市政の在り方に関心を寄せ、彼を囲む市民の幅広い支持を得て、昭和38年(1963年)市長選に立候補し当選、昭和58年(1983年)4月までの5期20年に亘る長期間在職した〔。
市長の座を退いた後は、再び金光教布教に力を尽くした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「河合弘道」の詳細全文を読む




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