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沖ノ神島神社 : ミニ英和和英辞書
沖ノ神島神社[おき]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [おき]
 【名詞】 1. open sea 
: [かみ]
 【名詞】 1. god 
: [しま]
 【名詞】 1. island 
神社 : [じんじゃ, かむやしろ]
 【名詞】 1. Shinto shrine 
: [やしろ]
 (n) shrine (usually Shinto)

沖ノ神島神社 : ウィキペディア日本語版
沖ノ神島神社[おき]

沖ノ神島神社(沖ノ神嶋神社、神島(嶋)神社、おきのこうじまじんじゃ)は、長崎県北松浦郡小値賀町野崎郷(野崎島)にある神社境内奇岩王位石」で知られる。島内北端、標高305mの山の中腹の斜面(標高200m超)に建てられ、五島列島に所在する神社では最古の1つとされる。旧社格は郷社。
野崎島では江戸時代末期に移住してきた隠れキリシタンを除くほとんどの島民が同社の氏子であり、非キリスト教徒集落の野崎集落では親家(おやけ)と称する神官家を中心として、住民が非常に強い絆で結ばれていた。神官家は、野崎島の各集落が島外へ移住した後も残り続け、同島が無人島になる前の最後の住人となった。
本来は、本社を沖津宮、前方湾を挟んで対岸の小値賀島(本島)前方郷にある地ノ神島神社を本宮(辺津宮)とし、2社を合わせた1社として神島神社(または神島宮)と呼ばれた。主祭神は神島大明神(鴨分一速王命)で、志自岐大明神(十城別王命)と七郎大明神(七郎氏廣王)を併祭する。なお、十城別王命は、長崎県本土唯一の式内社として高い格式をもっていた''志自岐神社''(平戸島)の主祭神であり、鴨分一速王命の兄とされる。また、七郎氏廣王は二人の部下と伝える。
== 歴史 ==

* 704年慶雲元年) – 小値賀島の地ノ神島神社から分祀して創建。直前の702年大宝2年)に南路(五島列島経由)に経路変更して遣唐使の再開がされていることから、遣唐使の安全を祈願する意図があったものとも言われている。
* 851年嘉祥4年) – 正六位下授与(神階を参照)。
* 中世別当寺として萬福寺が創建されたとされる。
* 1596年文禄5年) – 社殿再興〔。
* 1625年寛永2年) – 永代神領として8寄進〔。
* 1702年元禄15年) – 船着場普請
* 1787年天明7年) – 萬福寺が小値賀島前方郷へ移設。
* 1871年明治4年) – 萬福寺が廃寺となる。
* 1980年昭和55年)頃 - 例祭の開催場所が本宮から野崎郷の神官家に変更される。
* 2001年平成13年) - 神官家の離島(野崎島が無人島となる)。
* 2002年(平成14年) - 小値賀島の笛吹六社神社境内に遥拝所設置。
* 2011年(平成23年)9月21日 - 小値賀島および周辺の島の自然・旧跡をまとめた「小値賀諸島の文化的景観」として文化庁より重要文化的景観の指定を受ける。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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