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武井武雄 : ミニ英和和英辞書
武井武雄[たけい たけお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
: [おす]
 【名詞】 1. male (animal) 

武井武雄 : ウィキペディア日本語版
武井武雄[たけい たけお]

武井 武雄(たけい たけお、1894年6月25日-1983年2月7日)は、童画家、版画家、童話作家、造本作家である。
童話の添え物として軽視されていた子供向けの絵を「童画」と命名し、芸術の域にまで高めた。武井武雄の童画は、大胆な構図や幾何学的な描線によって、モダンかつナンセンスな味わいを感じさせ、残された作品はいまもって古びていない。「コドモノクニ」をはじめとした児童雑誌の挿画、版画、図案(デザイン)、おもちゃの研究・創作「イルフ・トイス」、本自体を芸術作品と捉えた「刊本作品」、童画批評など多岐多彩な分野で作品を残した。
== 略歴 ==

*1894年 長野県平野村(現岡谷市)西堀の裕福な地主の家に生まれる(父:慶一郎 母:さち)。武井家は諏訪藩御中小姓を代々務め、藩の御用の傍ら、私塾(無事庵)を開き地域の子ども達の教育に熱心に取り組んだ。武雄の父慶一郎も平野村長を務めるなど地域に貢献した人物であった。その慶一郎の一人息子である武雄は、幼い頃は病弱で、多くの時間を家の中で過ごし、友達も少なかった。そこで空想の中に「妖精ミト」という友達を創り出し、童話の世界で一緒に遊んでいた。この経験は、生涯武井の中から消えることはなく、童画を描く原点になったのではないかといわれている。
*1913年 長野県立諏訪中学校(現長野県諏訪清陵高等学校)卒業。
*1919年 東京美術学校(現東京芸術大学)西洋画科卒業。
*1922年 東京社が創刊した絵雑誌『コドモノクニ』創刊号のタイトル文字及び表紙絵を担当、その後絵画部門の責任者(絵画主任)となる。
*1923年 処女童話集『お伽の卵』出版
*1925年 初の個展を開催。このときに用いられた「童画」という言葉がのちに定着する。
*1927年 岡本帰一清水良雄深沢省三川上四郎初山滋村山知義とともに日本童画家協会を結成。
*1929年 自ら創案した新作の玩具・小手工芸品「イルフ・トイス」展を開催。
*1935年 「刊本作品」の制作を始める。
*1944年 恩地孝四郎の推薦で日本版画協会会員となる。
*1946年 日本童画会結成。会員となる。文化団体「双燈社」を起こす。
*1959年 紫綬褒章受章
*1967年 勲四等旭日小綬章受章
*1983年 死去
*2015年 4月より、岡谷市のデザインナンバープレートと家屋調査済証に武井の童画を使用。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「武井武雄」の詳細全文を読む




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