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植松直哉 : ミニ英和和英辞書
植松直哉[うえまつ なおや]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [ひた, ちょく]
 【名詞】 1. earnestly 2. immediately 3. exactly
: [や]
 (n) question mark

植松直哉 : ウィキペディア日本語版
植松直哉[うえまつ なおや]

植松 直哉(うえまつ なおや、1978年9月10日 - )は、日本男性総合格闘家静岡県富士宮市出身。ネクサセンス所属。サンボ初段。柔道二段。ブラジリアン柔術黒帯。
== 来歴 ==
高校時代にサンボの大会で頭角を現した。
1997年12月20日、ザ・トーナメント・オブ・J '97 軽量級トーナメント決勝で宇野薫と対戦し、開始23秒アキレス腱固めで一本勝ち。
1998年9月18日、史上最年少(20歳)でプロ修斗デビュー。
2001年春、タイでウイルス性急性腸炎を患い生死の境をさまよったが、同年11月26日の修斗での渡辺孝との柔術マッチで復帰を果たした。
2005年7月、世界柔術選手権の茶帯ペナ級に出場。決勝では佐々幸範と初の日本人同士の対決となったが、ポイント0-2で敗退。準優勝となった。
2006年4月15日、グラップリング大会トーナメント・オブ・プロズのスーパーファイトでジェフ・グローバーに勝利したことから世界レベルのグラップラーとして名が知られるようになる。
2006年5月26日、カリフォルニア州で行われたグラップリング大会L.A. SUB-Xでレオナルド・ヴィエイラと対戦。2Rにスリーパーホールドで敗れたが、払い腰でヴィエイラをテイクダウンした。
2006年7月1日、Gladiator Challengeバンタム級(-66kg)王座決定戦でユライア・フェイバーと対戦し、パウンドでTKO負けを喫し王座獲得に失敗した。
2007年5月、アブダビコンバット66kg未満級に出場。1回戦でハビエル・バスケスに勝利したものの、2回戦で鈴木徹(徹肌ィ郎)に0-5のポイント負けを喫した。
2007年12月15日、第1回世界ノーギ柔術選手権の黒帯ペナ級に出場。1回戦でシェーン・ライスと対戦し、4-8のポイント負け〔【No-Gi柔術】初めてのノーギ柔術世界大会、植松直哉はまさかの一回戦負け 格闘技ウェブマガジンGBR 2007年12月15日〕。
2008年4月5日、CAGE FORCE 06でジェームス・ドゥーランと対戦し、ヒールホールドで一本勝ち。
2008年10月23日、DEEP 38 IMPACTでDJ.taikiと対戦予定であったが、右肩(右腱鎖骨)を負傷し、全治2か月となり試合中止となった〔【DEEP】10・23植松直哉がケガにより欠場、DJ.taikiとの一戦は延期!? 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年10月10日〕。12月10日、DEEP 39 IMPACTで改めてDJ.taikiと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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