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梅宮辰夫 : ミニ英和和英辞書
梅宮辰夫[うめみや たつお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [うめ]
 【名詞】 1. (1) plum 2. Japanese apricot 3. prunus mume 4. (2) lowest (of a three-tier ranking system) 
: [たつ]
 【名詞】 1. fifth sign of Chinese zodiac (The Dragon, 7a.m.-9a.m., east-southeast, March) 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 

梅宮辰夫 : ウィキペディア日本語版
梅宮辰夫[うめみや たつお]

梅宮 辰夫(うめみや たつお、1938年3月11日 - )は、日本俳優タレント実業家身長174cm、血液型A型〔。所属事務所は株式会社ピックルズ(東京・赤坂)。娘はモデル・タレントの梅宮アンナ
東映ニューフェイスとしてデビューし、俳優として映画テレビドラマに出演していたが、飲食事業の経営やバラエティ番組にも出演しだし、料理の腕前や軽妙なトーク、家庭の様子がたびたび紹介されている。
==経歴==

=== 生い立ち ===
会津出身の梅宮の祖父・辰次郎が陸軍士官学校卒業後日露戦争に従軍、その後妻とともに満州奉天に移住、辰次郎は関東軍参謀板垣征四郎とも懇意の仲で、祖父の葬儀では板垣が弔文を読んだという。同地で辰次郎の次男として生まれ、満州医科大学を卒業し医師となった後、満州国ハルビン特別市満鉄病院に勤務していた父・次郎の長男として生まれる。弟と妹それぞれ2人ずつの5人兄弟〔東映の友 1963年7月号 18頁。〕。一家はその後、次郎の異動により開原市(現中華人民共和国遼寧省)に移住、同地で太平洋戦争終戦を迎え、1946年に他の引揚者らとともに信濃丸博多港に帰国〔「ファミリーヒストリー」(NHK総合2015年2月13日放送分)によると、次郎が終戦直後、開原の病院で関東軍の引揚兵の一人だった柳澤孝信(後に柳澤管楽器経営者)の命を助け、その後次郎が八路軍に連行され家族と引き離された際、柳澤が残された辰夫ら家族の引揚を開原から奉天まで手助けした。なお次郎は八路軍により連行される途中の列車から脱出し逃亡、先に到着した奉天で身を潜め、その後2013年3月に開原から奉天に到着した家族および柳澤と合流し、一緒に帰国している。〕。帰国から半年後に茨城県水戸市の病院に職を見つけた父とともに一家で移住、茨城大学教育学部附属愛宕中学校では陸上競技をしていた。同窓に自動車評論家の徳大寺有恒がおり、同じく陸上競技をやっていた。同中学校の後輩にはジャーナリストで評論家の立花隆がおり、立花とは後年、テレビ番組の企画で共演している〔『旧友再会〜梅宮辰夫と立花隆』(NHK) 2009年放送〕。水戸移転から10年後、近くに親戚のいた品川区戸越銀座へ移住する。戸越銀座移転後、実家は内科小児科を診療科目とする梅宮医院を開業、辰夫は跡継ぎとして期待されていた〔東映の友 1961年5月号 2~3頁。〕が、早稲田高等学校を経て、医学部を受験するも不合格となったため、日本大学法学部に入学(後に中退)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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