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桜デパート : ミニ英和和英辞書
桜デパート[さくらでぱーと]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さくら]
 【名詞】 1. (1) cherry blossom 2. cherry tree 3. (2) decoy 4. fake buyer 5. shill 6. (3) hired applauder 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

桜デパート : ウィキペディア日本語版
桜デパート[さくらでぱーと]

桜デパート(さくらデパート)は、かつて存在した日本の百貨店鹿児島県鹿屋市に本店を置き、大隅半島では唯一の百貨店(日本百貨店協会加盟〔1989年当時。鹿児島県内では他に山形屋(本店)、鹿児島三越(2009年閉店、現マルヤガーデンズ)のみ。〕)であった。
== 概要 ==
1945年(昭和20年)12月に桜商会として創業。1954年に桜デパートと改称し、1960年に後の鹿屋本店を建設。1970年代から1980年代にかけて店舗網を拡大し、1990年に売り上げのピークを迎えたが、1994年に破綻し企業としては2000年に特別清算された。大隅半島の倒産企業における負債金額の規模では丸栄建設(2008年破綻)に次ぐ〔『南日本新聞』 南日本新聞社、2008年6月22日朝刊1面。記事では丸栄建設グループ3社の合計としている。〕。1994年8月末時点の資本金は8,500万円、従業員数は110人であった。
鹿屋市北田町にある本店と寿店の大規模店や、西原店などの小規模店で構成されていた。デパート業のほか、観光事業も展開して桜観光(現在も存続)なども存在していた。子供に与える影響も大きく、本店では交差点向かいの「おもちゃの松元」との相乗効果から当時流行したファミリーコンピュータのディスクの書き換え機(1回500円)が設置されていたほど品揃えは地方随一であった。また、寿店では同じくファミリーコンピュータの「スーパーマリオ」大会が多くの子供を集めて開催されるなど、集いの場として人気の高さをうかがわせていた。
1974年から寿屋と業務提携を結んでおり、1994年9月の閉店後は一部店舗を寿屋に移譲し、寿店は『寿屋鹿屋店』、西原店は『くらし館西原店』として運営されていたが、同社も2001年に倒産。現在は西原店が『マックスバリュ西原店』として運営されている。
本店の店舗は地上7階建てでありいわゆるデパ地下も存在した(朝日新聞記事に基づく、1973年時点は4階建て)。敷地面積は2,385平方メートル、店舗面積は9,000平方メートル。1994年9月に閉鎖された後10年ほどそのままの状態であったが、再開発施設『リナシティかのや』の建設に伴う周辺整備により2005年3月までに取り壊された。本店敷地は鹿屋市が2億7,961万円で取得。現在は『まちなかパーク』として整備され駐車場として利用されている。
大隅半島初のショッピングセンターであるプラッセだいわ鹿屋店が開業した1991年12月5日にはショッピングプラザさくら(寿店の増床計画)の構想を南日本新聞の紙面上で広告として発表したが、実現には至らなかった。
1980年代までの鹿屋市で買い物といえば、鹿屋市中心部にあった桜デパートや遠矢百貨店、タイヨーが一般的であったが、1991年の市役所の移転や1992年の国道220号鹿屋バイパスの全線開通などを機に、衰退の一途をたどった。現在の鹿屋市付近の買い物は鹿屋バイパス沿いのロードサイド店舗が中心となっている。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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