翻訳と辞書
Words near each other
・ 栄太樓
・ 栄太郎
・ 栄妃
・ 栄妃 (康熙帝)
・ 栄姫
・ 栄姫 (曖昧さ回避)
・ 栄子内親王
・ 栄宏会小野病院
・ 栄宝斉
・ 栄宝斎
栄実
・ 栄寿
・ 栄寿院
・ 栄小学校
・ 栄尚
・ 栄屋乳業
・ 栄屋悦男
・ 栄山
・ 栄山寺
・ 栄山寺行宮跡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

栄実 : ミニ英和和英辞書
栄実[えいじつ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [さかえ, はえ]
 【名詞】 1. glory 2. prosperity
: [み, じつ]
 【名詞】 1. fruit 2. nut 3. seed 4. content 5. good result 

栄実 : ウィキペディア日本語版
栄実[えいじつ]
栄実(えいじつ、建仁元年(1201年) - 建保2年11月13日1215年1月14日))は、鎌倉幕府第2代将軍源頼家の三男(尊卑分脈等)または次男(北条九代記)。清和源氏。母は法橋・一品房昌寛の娘。一幡公暁の異母弟であり、竹御所の異母兄でもあり、禅暁の同母兄。幼名を千寿丸尊卑分脈等)または千手丸(北条九代記等)といった。
父頼家が没したときは僅か4歳だった。父の死後、尾張中務丞によって養育されていたところ、北条氏に反感を持つ信濃国(現在の長野県)の豪族泉親衡に大将軍として擁立されて北条義時誅殺の陰謀に加担させられるが、建保元年(1213年)2月にこれが露見して北条氏によって捕縛された(泉親衡の乱)。同年11月、祖母北条政子の命によって出家し、栄西の弟子になって法名を栄実とした。建保2年(1214年)、京都滞在時に和田氏の残党に擁立されて六波羅を襲撃しようとしたが計画が幕府方に露見し、同年11月13日、一条北辺の旅亭で幕府方の襲撃を受けて自殺した。享年14だったという。
ただし、吾妻鏡には、「栄実」、「千寿丸」、「千手丸」といった名前は登場せず、泉親衡源頼家の「若君」が擁立され、北条政子の計らいによって頼家の「若公」が出家させられ、和田氏の残党に頼家の「御息」が擁立されたことが」記載されているだけである。また、尊卑分脈等の多くの史料では、栄実は承久元年(1219年10月6日に自害したことになっている。このため、従来の通説で栄実の事績とされてきたことには疑義が呈されている〔矢代仁、『公暁―鎌倉殿になり損ねた男 』、ブイツーソリューション、2015年刊行〕。
== 関連項目 ==

*泉親衡の乱
*和田合戦

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「栄実」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.