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染谷悠太 : ウィキペディア日本語版
染谷悠太[そめや ゆうた]

染谷 悠太(そめや ゆうた、1986年(昭和61年)9月30日 - )は、東京都出身のサッカー選手。ポジションディフェンダーミッドフィールダーボランチ)。Jリーグ京都サンガF.C.所属。
== 来歴 ==
7歳(小学2年生)の時にサッカーを始め、後にFC東京の下部組織でプレー。同期には伊賀貴一武藤勝利福田建宮崎智彦ら。
2005年、流通経済大学に進学。センターバックとして評価を高めた〔京都新加入DF染谷「注目される選手に」 日刊スポーツ (2009年1月24日)〕。大学の1期先輩で、FC東京U-15以来のチームメートである鎌田次郎からは「ディフェンスラインのどこでもしっかり体を張った守備ができるし、ボールを取ってからもいいパスを出せる選手」と〔 エル・ゴラッソweb版 BLOGOLA、2010年10月29日〕、ユーティリティー性ビルドアップを長所に挙げられている。
2009年に大学を卒業し、京都サンガF.C.に加入〔染谷悠太選手(流通経済大学)加入内定のお知らせ 京都サンガF.C. (2008年10月9日)〕〔2009サンガ新加入選手(3) 京都新聞 (2009年2月5日)〕。3月22日のJ1第3節G大阪戦で左サイドバックとしてフル出場し、プロデビューを果たす。同年4月のJ1第6節浦和戦で、早くも公式戦450分出場を達成(5試合すべてフル出場)し京都とA契約を締結した〔染谷悠太選手 プロA契約締結のお知らせ 京都サンガF.C.公式 (2009年4月24日)〕。6月、J1第15節広島戦でプロ初得点。その後は右サイドでも起用され左右ともにこなせるサイドバックとして重宝された。2010年にかけてはボランチとして出場機会を得ている。2012年からは本来のセンターバックとしてレギュラーに定着。巧みなボール捌きと対人の強さを発揮した〔東京V 常盤、先輩・染谷への雪辱を誓う blogola (2013年3月8日)〕。2013年のJ1昇格プレーオフでは、準決勝長崎戦で両チーム最多のボール奪取を記録し〔J1昇格プレーオフ 京都vs長崎 マッチレポート (各選手のボール奪取・ロスト、ランキングなど) Football LAB (2013年12月3日)〕決勝進出に貢献するも、負傷により決勝戦を欠場〔【J1昇格プレーオフ:決勝 京都 vs 徳島】京都側レポート Jリーグ:J's GOALアーカイブ (2013年12月9日)〕。染谷を欠いた京都は失点を重ねJ1昇格を逃した。
2014年、セレッソ大阪へ完全移籍〔染谷悠太選手 セレッソ大阪へ完全移籍のお知らせ 京都サンガF.C. (2014年1月7日)〕〔京都サンガF.C. 染谷悠太選手完全移籍加入のお知らせ セレッソ大阪 (2014年1月7日)〕。開幕からDF陣のバックアッパーとしてベンチ入りを続け、藤本康太が負傷欠場したシーズン終盤にかけて先発を勝ち取った。守備では強さを見せたものの、チームの不振もあって安定を欠いた。2015年は自己最多となるリーグ戦36試合に出場し、正確なフィードやビルドアップで貢献。
クラブからの慰留を〔京都7年ぶりJ1復帰へ“大型補強”牟田&染谷らに正式オファー スポーツニッポン (2015年12月14日)〕固辞し、2016年より古巣京都へ復帰〔染谷悠太選手 京都サンガF.C.へ完全移籍のお知らせ セレッソ大阪 (2015年12月30日)〕〔染谷悠太選手 セレッソ大阪より完全移籍加入のお知らせ 京都サンガF.C. (2015年12月30日)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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