翻訳と辞書
Words near each other
・ 松田幸春
・ 松田幸次郎
・ 松田幸緒
・ 松田幸雄
・ 松田広子
・ 松田康佑
・ 松田康佑 (1991年生のサッカー選手)
・ 松田康利
・ 松田康博
・ 松田康郷
松田康長
・ 松田弘
・ 松田弦
・ 松田彩香
・ 松田彬人
・ 松田律子
・ 松田忍
・ 松田忠徳
・ 松田恒次
・ 松田恵美子


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

松田康長 : ミニ英和和英辞書
松田康長[まつだ やすなが]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [おさ]
 【名詞】 1. chief 2. head 

松田康長 : ウィキペディア日本語版
松田康長[まつだ やすなが]
松田 康長(まつだ やすなが、天文6年(1537年)? - 天正18年3月29日1590年5月3日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将松田康定松田憲秀の父・松田盛秀の弟)の長男である。弟に松田康郷。松田憲秀とは従兄弟の関係にあたる。北条氏康氏政氏直の三代に仕えた。主に奏者や奉行衆として政務に関わり、寺社関連や楽市制度などに携わった発給文書が残る。
== 略歴 ==
永禄2年(1559年)の『北条氏所領役帳』に御馬廻衆として約700貫文を領しているのがみえる。
天正15年(1587年)11月、豊臣氏との対戦に備えて山中城の構築にあたっている。
天正17年(1589年)、豊臣秀吉小田原征伐に際し、山中城主となった。翌天正18年(1590年)、山中城に押し寄せた豊臣秀次らの率いる約7万の軍勢の攻撃に対し、奮戦したものの半日で城は落城し、城兵とともに戦死した。享年は54とされる(北条氏文書)。
なお、息子の直長は後に徳川家康秀忠に仕えて旗本として存続し、明暦3年(1657年)8月まで生き、96歳の長寿を全うした。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「松田康長」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.