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松尾松治郎 : ミニ英和和英辞書
松尾松治郎[まつお]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [まつ]
 【名詞】 1. (1) pine tree 2. (2) highest (of a three-tier ranking system) 
: [お]
 【名詞】 1. tail 2. ridge 

松尾松治郎 ( リダイレクト:佐賀県民歌#作詞者 ) : ウィキペディア日本語版
佐賀県民歌[さがけんみんか]

佐賀県民歌」(さがけんみんか)は昭和時代戦前の日本において制定された佐賀県県民歌である。作詞・松尾松治郎、補作・吉田絃二郎、作曲・下総皖一
「県民の郷土意識を昂め士気を旺盛ならしめ一面雄渾典雅の県民性を涵養する」ことを制定意義として1936年(昭和11年)に『佐賀新聞』を通じ歌詞の公募を実施した〔佐賀新聞社『佐賀新聞七十五年史』(1961年)、328-329ページ。〕。審査の結果、小学校訓導の松尾松治郎が応募した歌詞が入選となり、神埼郡出身の吉田絃二郎による補作を経て7月28日付『佐賀新聞』2面で歌詞が発表された。作曲は県の依頼により東京音楽学校に委嘱され〔『佐賀県大百科事典』(佐賀新聞社、1983年)、340ページ。〕、下総皖一が行った。
しかし、制定された県民歌は一般に広く普及せず1945年(昭和20年)の太平洋戦争終結後に忘れ去られてしまった〔〔福岡博『佐賀県新民謡詞華集』(佐賀新聞社、1996年)、1ページ。 ISBN 4-88298-075-4〕。一例として、昭和40年代半ばに刊行された都道府県歌集では県民歌を「未制定」とし、体育歌の『佐賀県民体育大会歌』(作詞・久部勝義、作曲・陶山聡)を代わりに掲載している〔 西崎嘉太郎/日本青少年音楽教育センター 監修『日本うたの地図』(しなの出版、1970年)、130-131ページ。〕。1973年(昭和48年)、県政90周年と3年後の1976年(昭和51年)に開催される若楠国体を記念して新たに現行の「佐賀県民の歌」(作詞・明石省八、作曲・團伊玖磨)が制定された。
== 作詞者 ==
作詞者の松尾 松治郎(まつお まつじろう)は唐津市の出身で「県民歌」の歌詞公募が実施された際は東松浦郡有浦小学校(現玄海町立有徳小学校)の訓導であった。戦後は1948年(昭和23年)4月から1952年(昭和27年)3月まで厳木町立本山小学校(廃校、現在の唐津市立箞木小学校に校区統合)校長〔厳木町教育委員会『厳木町史』(1971年)、323-324ページ。〕、1954年(昭和29年)4月から1956年(昭和31年)3月まで名護屋村立名護屋中学校(現唐津市立海青中学校)校長を歴任〔鎮西町史編纂委員会『鎮西町史』(1962年)、406-407ページ。〕。1956年4月から翌1957年(昭和32年)3月まで玄海町立値賀中学校校長を務め、同校の校歌(作曲・増本光春)を作詞した〔値賀中学校 沿革史 〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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