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東京レディオクラブ : ミニ英和和英辞書
東京レディオクラブ[とうきょう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東京 : [とうきょう]
 【名詞】 1. Tokyo (current capital of Japan) 
: [みやこ, きょう, けい]
 【名詞】 1. capital 2. metropolis
ラブ : [らぶ]
 【名詞】 1. (abbr) lab 2. laboratory 3. love 4. (n) (abbr) lab/laboratory/love

東京レディオクラブ ( リダイレクト:岸谷五朗の東京RADIO CLUB ) : ウィキペディア日本語版
岸谷五朗の東京RADIO CLUB[きしたにごろうのとうきょうれでぃおくらぶ]

岸谷五朗の東京RADIO CLUB』(きしたにごろうのとうきょうレディオクラブ)は、1990年10月8日から1994年9月30日までTBSラジオで放送されていたラジオ番組。通称「レディクラ」。
== 概要 ==
1980年代から1990年代にかけて、民放AMラジオの夜ワイド番組は10代をターゲットにしたバラエティ番組が主流だった。しかしTBSラジオは首都圏において文化放送吉田照美のてるてるワイド」やニッポン放送ヤングパラダイス」に水を開けられていた。1986年の「進め!おもしろバホバホ隊」終了後は他局と一線を画した大人向け番組に転換したものの、定着しなかった。本番組で、4年ぶりに10代向け夜ワイド番組に回帰した。本番組開始に合わせ、TBSラジオは月曜日から土曜日の10代向け番組枠を総称した「TBS RADIO 2(TBSレディオクラブ)」ブランドを創設。本番組がフラッグシップ的存在であった。
メインパーソナリティは、当時スーパー・エキセントリック・シアター(S.E.T.)の劇団員で「ヤングパラダイス」にも出演していた岸谷五朗ホンジャマカ恵俊彰も全期間を通じて共演した。2人とも番組開始時は無名に近かったが、本番組が知名度・人気を獲得する契機となった。また、S.E.T.のメンバーだった寺脇康文や山田幸伸、尾口えり子(現:おぐちえりこ)らもレギュラー出演した。
番組は投稿コーナー・クイズコーナー・中継コーナーなどの企画で構成。「NAI NAI'91」「ボンビーくん」「長嶋家の謎」が人気コーナーとなり、本も出版された。また、番組内には3~5つの内包番組(録音)があり、奥居香永井真理子TM NETWORK米米CLUB小川範子などが出演していた。
連日の生中継やニューヨークからの生放送・リスナー参加イベント・番組ファンクラブの結成など、スタジオでの生放送を超えた企画も多数行われた。世界エイズデーに全国で開かれる「AAA~アクト・アゲインスト・エイズ」も本番組がきっかけでスタートした。
1994年に入ると、俳優としての知名度を上げた岸谷が、連続ドラマに相次いで出演(「この愛に生きて」「妹よ」)。ドラマ撮影の影響で本番組への出演が困難になり、一時は岸谷の出演が週3日のみとなった。代役パーソナリティを立てるなどして対応したが、最終的には「役者業に専念したい」という岸谷の意向を受け、1994年9月をもって4年間の放送に終止符を打った。
なお後継番組として、寺脇康文とのトーク番組『岸谷五朗vs寺脇康文~ぷんぷん五朗佐とニコニコ脇衛門』が1年間放送されている(日曜23:00-24:00)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「岸谷五朗の東京RADIO CLUB」の詳細全文を読む




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