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東亜協同体論 : ミニ英和和英辞書
東亜協同体論[とうあきょうどうたいろん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ひがし]
 【名詞】 1. east 
東亜 : [とうあ]
 【名詞】 1. East Asia 2. the Orient 
: [きょう]
  1. (n-suf,n-pref) cooperation 
協同 : [きょうどう]
 【名詞・動詞】1. cooperation 2. association 3. collaboration 4. joint
: [どう]
 【名詞】 1. the same 2. the said 3. ibid. 
同体 : [どうたい]
 【名詞】 1. as one flesh or body 2. simultaneously
: [ろん]
 【名詞】 1. (1) argument 2. discussion 3. dispute 4. controversy 5. discourse 6. debate 7. (2) theory 8. doctrine 9. (3) essay 10. treatise 1 1. comment

東亜協同体論 : ウィキペディア日本語版
東亜協同体論[とうあきょうどうたいろん]

東亜協同体論(とうあきょうどうたいろん)とは、1930年代末(日中戦争初期)の日本で、東アジア地域において民族国家を超克する協同体の建設を主張した政治理論・思想のこと。当時の近衛文麿首相のブレイン集団である昭和研究会を中心に構想され、三木清蝋山政道尾崎秀実新明正道加田哲二杉原正巳らが主要な論者となった。
==時代背景==
日中戦争が開始された翌年の1938年には早くも戦局が「泥沼化」し、早期の戦争終結の見込みが薄くなったことから、第1次近衛声明(「爾後蒋介石政府を対手とせず」 / 1月16日)に代表される当初の政策を見直そうとする気運が生じた。これにともない同年11月3日には戦争目的を「国民政府抹殺」でなく「東亜新秩序建設」とし、新秩序建設に同意する限りで国民政府を承認する旨の第2次近衛声明がなされ、さらに翌12月22日には国民政府との和平の3原則として「善隣友好」「共同防共」「経済提携」が言明された(第3次声明)。以上の時局を背景として、「東亜新秩序」声明前後に蝋山政道の論文「東亜協同体の理論」が『中央公論』に掲載され、これ以後東亜協同体論をめぐる論争が活発となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「東亜協同体論」の詳細全文を読む




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