翻訳と辞書
Words near each other
・ 朝鮮民主主義人民共和国憲法
・ 朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法
・ 朝鮮民主主義人民共和国軍
・ 朝鮮民主主義人民共和国鉄道庁
・ 朝鮮民主主義人民共和国鉄道省
・ 朝鮮民主主義人民共和国鉄道部
・ 朝鮮民主主義人民共和国関係記事の一覧
・ 朝鮮民主党
・ 朝鮮民主女性同盟
・ 朝鮮民族
朝鮮民族主義歴史学
・ 朝鮮民族前衛同盟
・ 朝鮮民族史学
・ 朝鮮民族美術館
・ 朝鮮民暦
・ 朝鮮民画
・ 朝鮮民航
・ 朝鮮民謡の主題による変奏曲
・ 朝鮮水先令戦時特例
・ 朝鮮海峡


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

朝鮮民族主義歴史学 : ミニ英和和英辞書
朝鮮民族主義歴史学[ちょうせんみんぞくしゅぎれきしがく]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あさ, ちょう]
 (n-adv,n-t) morning
朝鮮 : [ちょうせん]
 【名詞】 1. Korea 
: [たみ]
 【名詞】 1. nation 2. people 
民族 : [みんぞく]
 【名詞】 1. people 2. race 3. nation 4. racial customs 5. folk customs 
民族主義 : [みんぞくしゅぎ]
 【名詞】 1. nationalism 
: [ぬし, おも]
 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god 
主義 : [しゅぎ]
 【名詞】 1. doctrine 2. rule 3. principle 
: [ぎ]
 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor 
歴史 : [れきし]
 【名詞】 1. history 
歴史学 : [れきしがく]
 (n) study of history
史学 : [しがく]
 【名詞】 1. study of history 
: [がく]
 【名詞】 1. learning 2. scholarship 3. erudition 4. knowledge 

朝鮮民族主義歴史学 : ウィキペディア日本語版
朝鮮民族主義歴史学[ちょうせんみんぞくしゅぎれきしがく]

朝鮮民族主義歴史学(ちょうせんみんぞくしゅぎれきしがく)は、民族的または人種的に定義された朝鮮民族を中心とした、朝鮮の歴史の記述方法である。この種の歴史学は、20世紀初頭に、日本の支配から朝鮮の独立を達成するために、民族意識を育成したい朝鮮の知識人の間で出現した。その最初の提唱者は、ジャーナリストで独立運動家だった申采浩(:ko:신채호)(1880-1936)である。申は、朝鮮が日本の保護国となった3年後の1908年に出版された彼の論争的な『読史新論』(:ko:독사신론)で、朝鮮の歴史は神である檀君の子孫である独特な人種である朝鮮民族の歴史であり、檀君はかつて朝鮮半島だけでなく満州の大部分も支配したと宣言した。民族主義の歴史家は、これらの古代の「朝鮮」王国の領土に拡張主義的な主張し、それにより民族の現状が裁かれた。
申や朴殷植(1859-1925)と崔南善(1890-1957)他の朝鮮の知識人は、1910年代と1920年代に、これらのテーマを発展させ続けた。彼らは過去を表現する従来の2つの方法:中国を中心とした卑屈な世界観を永続させる李氏朝鮮両班儒教的歴史学、および、朝鮮を歴史上従属的で文化的に遅れていると描く日本の植民地歴史学、を拒否した。
これらの戦前の民族主義の歴史家の仕事が、北朝鮮と韓国の両方で戦後の歴史学を形作ってきた。両国のイデオロギーの相違にもかかわらず、両国の支配的な歴史学は、1960年代以降、民族主義的なテーマを反映し続け、この共通の歴史的な態度が朝鮮統一交渉の基礎となっている。日本の植民地的学問を拒絶しようとする過程で、朝鮮の民族主義歴史家はその前提の多くを採用してきた。しかし、申采浩の満州への失地回復主義的(:en:irredentism)要求は、主流になっていない。
==朝鮮民族主義歴史学の歴史==

===先駆者(1895年以前)===

朝鮮王朝の後半の間に、多くの個々の学者は中華思想から脱し、朝鮮の独自性と独立性をより意識した。この傾向は「実学」として知られるようになった。20世紀初頭における民族主義歴史学の台頭の最も重要な先駆者は、「実学」運動による中華思想の浸食だった。
非中華思想的歴史学思想は、洪大容(:ko:홍대용)(1731-1783)、丁若鏞(:ko:정약용)(1762-1836)、朴趾源(:ko:박지원 (실학자))(1737–1805)、柳得恭(:ko:류득공)(1749-1807)、そして李種徽(이종휘)(1731-1786)の学者の作品で起り始めた。洪大容は、中国が他の全ての国よりも優れているという中華思想の神聖な考えに反論し、全ての国は対等であると主張した。同時代の丁若鏞、洪大容は、文化的に優れた国はどこでも自国を「中心」と定義できると主張し、さらに、朝鮮は既に文化の発展がそのレベルに達しており「中心」と呼ぶことができると主張し、中国の古典だけではなく『三国史記』などの朝鮮の著作の教育の追加を強調した。朴趾源は、当時の一般的な朝鮮の歴史家は中国を国際システムの中心に置く朱熹新儒教の枠組みにとらわれていると主張した。朴趾源は、鴨緑江を越えて満州に広がる朝鮮の歴史的領土の新鮮な視点を提供した。李圭景(:ko:이규경)(1788-1856)は、独立した国家意識の解釈の枠組みの中で、朝鮮の包括的な歴史を書いて、知識人に訴えた

最も代表的な「実学」歴史学の著作は、安鼎福(:ko:안정복)の『東史綱目』(:ko:동사강목)で、新儒教の枠組みで書かれているが、李氏朝鮮初期とその支配者に対し弁解的というよりも批判的な調子で表した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「朝鮮民族主義歴史学」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.