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明朗会 : ミニ英和和英辞書
明朗会[めいろうかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

明朗 : [めいろう]
  1. (adj-na,n) bright 2. clear 3. cheerful 
: [かい]
  1. (n,n-suf,vs) meeting 2. assembly 3. party 4. association 5. club 

明朗会 : ウィキペディア日本語版
明朗会[めいろうかい]
明朗会(めいろうかい)は、第二次世界大戦前の日本で、日本郵船の関係者が組織した親睦団体、思想団体のひとつ。仏教哲理を基礎に日本主義を支持した。終戦時に会員の一部が皇居前で集団自決した。
==沿革==
明朗会は、1935年昭和10年)10月に、日本郵船の機関士親睦団体である機関士協会から独立する形で発足した。独立の原因は、前年に発覚した機関士協会の基金流用問題であった。流用問題を放置してきたとして反幹部の機運が高まったため、日本郵船は大規模な人事異動を行って解決を図ったが、海務課長の更迭などがかえって一部の協会員の反発を強めた。そして、日比和一が中心となって、社内の粛正刷新を謳って新たな団体として明朗会を結成するに至った。会社側は集会を禁止するなど弾圧を行った〔横山助成警視総監)「日本郵船株式会社明朗会員ノ国旗不掲揚問題ニ伴フ会社革新運動ニ関スル件」(大原社研、リール023、154-175.pdf)〕。
1937年(昭和12年)2月までに、高級船員約1300人のうち約500人が明朗会に加入した。普通船員にも加入者が広まり、最盛期の会員数は4000人に達した。倫理争議事件(後述)の後、会員400人余りが、「明朗会は政治運動・思想運動に専念して、会社のことも船員の福祉も考えていない」として脱会したものの〔吉見、254頁。〕、1941年(昭和16年)末の太平洋戦争開始時で800人の会員が残っていた〔吉見、255頁。〕。
明朗会は日本主義の立場で、皇道精神国体明徴を訴えた。その思想的な背景として、神道儒教・仏教の融合を説き、中でも仏教の哲理を重視していた〔。井上清純らを講師として招いて、勉強会を開くなどの活動を行った。海務課長人事や国旗掲揚を巡って会社経営陣と対立し倫理争議(後述)を起こしたほか、思想的違いや普通船員の入会勧誘を巡って労働組合である日本海員組合とも激しく対立した。明朗会に入会した普通船員には、マスト先端の塗装など危険な職務を押し付けられるといった労組からの嫌がらせもあった〔吉見、260頁。〕。
アメリカの強大な工業力を理由に太平洋戦争の開戦には強く反対したが、開戦後は聖戦完遂のためとして、戦時の船舶運航に協力した。会員の相当数は、海軍予備員として日本海軍に召集され、従軍した。軍人・商船員として多数の戦死者を出し、終戦時には軍籍にあるものを含めて350人ほどの会員しか残っていなかった〔。ポツダム宣言受諾後の1945年(昭和20年)8月23日に、会長の日比和一以下12人は、皇居前で集団自決(後述)した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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