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新藤五国光 : ミニ英和和英辞書
新藤五国光[しんとうご くにみつ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [しん]
  1. (n,n-suf,pref) new 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [ご]
  1. (num) five 
: [くに]
 【名詞】 1. country 
国光 : [こっこう, くにみつ]
 【名詞】 1. national glory 2. variety of apple
: [ひかり]
 【名詞】 1. light 

新藤五国光 : ウィキペディア日本語版
新藤五国光[しんとうご くにみつ]
新藤五 国光(しんとうご くにみつ)は、鎌倉時代後期の相模国(現神奈川県)の刀工。永仁元年(1293年)から元亨4年(1324年)までの在銘作刀がある〔(小笠原、2007)、p.83〕。相州伝と呼ばれる作風・系統の実質的創始者である。法名光心〔在銘作に「法師作」「法名光心」と記したものがある。短刀:銘「新藤五國光法師作」裏銘「延慶二年」、短刀(重要美術品):銘「鎌倉住新藤五國光法名光心」および種子「胎蔵界大日如来」、裏銘「正和二二年(4年)□月十月」(黒川古文化研究所所蔵)〕
== 系譜 ==

刀剣の古伝書に所載する国光の系譜は諸説ある。師については、備前三郎国宗、一文字助真、京の粟田口国綱の三説があり、国綱を父、国宗を師とする説もある〔(渡邉、2002)、pp.142 - 143〕。
最古の刀剣書である観智院本『銘尽』(現存するものは応永30年(1423年)の写本だが、本文は正和5年(1316年)時点の内容を含む)には、以下の2つの異なる系図を挙げている。
相模鍛冶系図 貞國─國弘─助真─國光─國重
├國廣
├行光
└正宗
鎌倉鍛冶 國宗─國光─進藤太郎
├進藤文四郎
├大進房 ひがきなり
├行光 藤三郎入道
└國光 弟子
前者の系図によれば、相模国鍛冶の祖は貞国で、国光の師は一文字助真となる。そして、国光の弟子として国重行光正宗が挙げられている。
後者の系図によれあ、国光の師は備前三郎国宗、国光の弟子は進藤太郎(国泰か)、弟文四郎(国広か)、樋掻き(刀身彫刻師)の大進房祐慶、藤三郎行光入道らとなる。
国光を粟田口国綱の子で備前三郎国宗の弟子とする説、室町時代以来の通説である(『古刀銘盡大全』ほか)。〔仰木弘邦著『古刀銘盡大全』。書誌所蔵)〕〔入手しやすい資料としては小笠原信夫著「正宗弟子説の成立過程:『古今銘尽』開版の諸条件」k『Museum』, No.497,p.26,1992)に諸鑑定書の比較がある。〕こちらは、国綱の活躍年代(? - 建長7年(1255年)頃)との差から、国光を国綱老後の子とする説や〔初代国光がいて、二代国光が新藤五国光を名乗ったとする説〔尾関善兵衛編『校正古今鍛冶銘早見出』。を元にした常石英明著『日本刀の研究と鑑定』。〕等がある。
前述の観智院本『銘尽』には、亀山上皇が大和当麻に行啓した際、新藤五国光の祖父が上皇に太刀を献上したとの記事があることから、大和当麻の鍛冶(当麻派)との関連を指摘する説もある〔東京国立博物館編『日本のかたな : 鉄のわざと武のこころ : 特別展』 http://www004.upp.so-net.ne.jp/artnavi/art.htm 〕。なお、刀銘「新藤五長谷部國光」から新藤氏長谷部姓、あるいは、長谷部住とも解釈されている。
刀銘ならびに、梵字(金剛界大日如来不動明王など)により真言密教系の法師鍛冶とされる。〔伊藤満著『刀剣に見られる梵字彫物の研究 : 刀工と修験道の関係』。〕

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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