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敬虔派 : ミニ英和和英辞書
敬虔派[けいけん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

敬虔 : [けいけん]
  1. (adj-na,n) pious 2. devout 3. modest
: [は]
  1. (n,n-suf) clique 2. faction 3. school 

敬虔派 ( リダイレクト:敬虔主義 ) : ウィキペディア日本語版
敬虔主義[けいけんしゅぎ]

敬虔主義(けいけんしゅぎ)は、特定の教理を遵守することではなく、個人の敬虔な内面的心情に信仰の本質を見る信仰的立場を言う。この傾向はキリスト教史の中に幾度も見受けられるが、それが明確な運動として現れたのは、「敬虔主義の父」とも呼ばれるドイツフィリップ・シュペーナーにおいてである。日本語においても、ドイツ語のピエティスムス (Pietismus) や英語のパイエティズム (pietism) という語がそのまま用いられることもある。
== 概要 ==
宗教改革に端を発したルター主義17世紀頃になると、教理の解釈や説教に耳を傾けるのみの受動的なものになっていた。正統主義に見られたこのような風潮に対抗したのがシュペーナーであり、一般の信者の積極的役割と、禁欲的な生活を説いた。1666年フランクフルト・アム・マインルター派教会牧師になった彼は教会の改革に着手し、堅信礼の確立などともに、互いに信仰を深め合う目的で信者が定期的な集会を開くことを提唱した。1670年に「コレギア・ピエタティス」(「敬虔な者の集い」の意)の名のもとに集会を自宅で始め、週2回集って、祈ったり聖書を読み合ったりした。「敬虔主義」の名はこれに由来する。
1675年に著した文書『ピア・デシデリア』(「敬虔な願い」の意)では、ルター派の衰退の理由を挙げ(信者の不道徳や、教会が貴族に牛耳られていることなど)、改革案として前述の集会の必要性を述べ、さらに教義的な論争は極力避け、ルターの「万人祭司」の思想を生かすためにも、信者の一人一人が積極的に教会に関与することを提唱した。この提言は好意的反響を呼ぶとともに、一方でルター派正統主義からの批判にさらされることにもなった。なぜなら、彼は心情を重視するので反知性主義主観主義になりかねないと判断されたからである。また、義認よりも禁欲的「再生」に重点を置く神学的立場は、本来のルター主義とは異質であったことも影響している。ザクセン選帝侯ヨハン・ゲオルク3世の飲酒癖などの批判で反感を買い、1691年ブランデンブルク選帝侯(のちのプロイセン王フリードリヒ1世)の招きでベルリンに移住し、終生そこに滞在することとなった。
シュペーナーの実質的な後継者となったアウグスト・ヘルマン・フランケは、「真の愛の一滴は知識の大海よりも尊い」という主張のもとに活動し、学校や工場の設置を手がけた。また、多くの伝道者を海外に送り出し、プロテスタント教会宣教活動の先駆者となった。
シュペーナーによって始められた敬虔主義運動は、フランケの熱心な実践活動においてピークを迎えたのであるが、彼の没後は徐々に廃れることとなった。
廃れた理由として総じて敬虔主義は偏狭な律法主義や反知性的な教育方針を固持したためだとする指摘がある。回心体験の極端な重視や、反知性主義また禁欲的律法主義に堕する危険性を持ちあわせるが、聖書中心の信仰生活の大切さを説き、信者の役割の強調において貢献をなしたと言える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Pietism 」があります。




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