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我喜屋優 : ミニ英和和英辞書
我喜屋優[がきや まさる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [われ, が]
 【名詞】 1. me 2. oneself 3. self 4. ego 
: [ゆう]
  1. (adj-na,n) actor 2. superiority 3. gentleness

我喜屋優 : ウィキペディア日本語版
我喜屋優[がきや まさる]

我喜屋 優(がきや まさる、1950年6月23日 - )は日本の野球選手(外野手)、野球監督、教育者沖縄県島尻郡玉城村出身で、より興南高等学校野球部監督を務める。
== 来歴 ==
第50回全国高等学校野球選手権大会では当時日本復帰前の沖縄代表として出場した興南高校の4番・主将として出場。これまで春夏合わせて甲子園ではわずか1勝しかできなかった〔沖縄勢は1963年首里高校が1勝を挙げたのがそれまでの最高だった〕沖縄勢を初のベスト4に押し上げた「興南旋風」と呼ばれる活躍を見せるも、準決勝でこの大会に優勝した興國高校に0-14と大敗する。
高校卒業後、静岡県富士市大昭和製紙に入部し、入社4年目に北海道白老町大昭和製紙北海道へ移籍。の第45回都市対抗野球大会では北海道勢初の優勝に貢献した。現役引退後は大昭和北海道および後身のクラブチーム・ヴィガしらおいの監督も歴任。白老町在住時は香田誉士史が教えを請うたこともあり、大昭和で培った「雪国のチームが全国で勝つ」ためのノウハウは香田が率いた駒澤大学附属苫小牧高等学校夏の甲子園2連覇(2004年2005年)、3年連続決勝進出という形で結実することとなった。
より母校の興南高校野球部監督に就任。には春のセンバツと、夏の選手権の両大会で優勝に導いた。夏の優勝により、史上6校目の「春夏制覇」を達成し、同時に「沖縄県勢初の夏の甲子園優勝」〔沖縄勢は、1958年に初めて甲子園に出場を果たした(出場校は首里高校)。実に52年目と、約半世紀後に達成された快挙であった。〕を達成した。
なお、2010年7月より興南中学・高校を運営する「学校法人興南学園」の理事長に就任〔夏の甲子園大会で沖縄県勢初の優勝を果たした興南高監督 我喜屋 優さん   - 西日本新聞2010年8月22日閲覧〕。2011年4月より興南中学・高校の校長も兼任。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「我喜屋優」の詳細全文を読む




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