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慶煕宮 ( リダイレクト:慶熙宮 ) : ウィキペディア日本語版
慶熙宮[きょんひぐん]

慶熙宮(キョンヒグン、けいききゅう、、Gyeonghuigung)は、現在の大韓民国ソウル特別市にある李氏朝鮮時代の宮殿。光海君8年(1616年)に建立された。ソウルにある5大宮殿の中で西側に位置して西闕とも呼ばれ、塞門安大闕、塞門洞大闕、大闕ともいった。朝鮮の離宮として慶運宮(徳寿宮)と虹橋で繋がっていた。李氏朝鮮後期には第2の宮殿とされ、非常時に王が移る場所とされた。大韓民国の史跡第271号に指定。
100以上の建物があったが、日本占領時代にほぼ完全に破壊され更地となった。跡地に日本人学校京城中学校が建てられた。解放後にソウル高等学校となった。1980年ソウル高等学校の瑞草区への移転以後、ソウル市立美術館として使用されたが、再び建物を取り壊し慶熙宮を復元した。ソウル高等学校の別称と慶熙大学校の名称はここに由来する。
かつての宮殿敷地はより広大だったが現在は狭くなっており、跡地の一部にはソウル歴史博物館、ソウル市教育庁、ソウル福祉財団、大韓サッカー協会、救世軍会館など政府や民間の様々なビルが建つ。2013年にソウル市と鍾路区庁は総合整備基本計画を定めており、慶熙宮のさらなる復元を段階的に進めることになっている。周囲の土地の買収、興化門の元の位置への移動、ソウル市立慶熙宮美術館(1994年に建てられた「ソウル遷都600年記念館」を転用したもの)の撤去、防空壕の撤去と移転などが含まれる。
==慶熙宮の建築物==
隆福殿、会祥殿、集慶堂、興政堂、正始閣、思賢閣、興化門などの建物があったが、壊されたり、日本統治時代に強制的に移転されたりした。
慶熙宮の配置形態と空間構成は、ソウルの他の宮廷とは異なったユニークなものである。正殿と位置づけられる崇政殿が西にあり、寝殿となる隆福殿と会祥殿が並んで配置され、正門である興化門は宮廷の南ではなく東南角に位置している。したがって、正門からは寝殿の前を通り過ぎて角を曲がり正殿に着くようになっていた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Gyeonghuigung 」があります。




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