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悪地の戦い : ミニ英和和英辞書
悪地の戦い[あくちのたたかい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [あく, わる]
 【名詞】 1. bad thing 2. bad person
: [ち]
  1. (n,n-suf) earth 
: [いくさ]
 【名詞】 1. war 2. battle 3. campaign 4. fight 
戦い : [たたかい]
 【名詞】 1. battle 2. fight 3. struggle 4. conflict 

悪地の戦い : ウィキペディア日本語版
悪地の戦い[あくちのたたかい]

悪地の戦い(あくちのたたかい、)は、1864年8月7日から9日に、アメリカ陸軍アルフレッド・サリー准将がダコタ準州で、ラコタ族、ヤンクトナイ族、ダコタ・スー族インディアンに対する遠征を行った間に起きた戦闘である。現在のノースダコタ州メドラ市とセンティネルビュート市の間で起きた。1862年のダコタ戦争で始まった紛争の延長だった。サリーの部隊は悪地を通って進軍し、スー族から大した抵抗も受けなかった。
== 背景 ==
1862年のダコタ戦争の後、アメリカ合衆国政府はスー族の戦争に参加しなかった者達も含め懲罰を与え続けた。1863年、ダコタ準州に向けて行われた大掛かりな軍事遠征によって、スー族の大半をミズーリ川の西岸に追い出したので、ミネソタ州やダコタの東部は白人開拓者にとって安全な地帯となった。スー族に対する更なる軍事行動を行う重要な動機として、近年モンタナアイダホで発見されたばかりの金鉱源との通信線を守りたいという願望があった。アメリカ人金採鉱者のライフラインは、スー族領土の中心部を通るミズーリ川を行き来する蒸気船だった〔Clodfelter, p. 156〕。
1863年から1864年にかけての冬、サリーの上官であるジョン・ポープ少将がサリーに、ミズーリ川沿いと両ダコタの東部に幾つか砦を構築し、金鉱源への通信ルートを確保し、ミズーリ川東岸の開拓者に対するスー族の脅威を取り去るよう命令した。サリーの軍隊は平原インディアンに対して起こされた遠征の中でも最大のものであり、4,000名以上の兵士で構成され、その多くはミズーリ川やイエローストーン川に沿って支援し補給を行う役割があった〔Barsness, John and Dickinson, William. "Cannoneer's Hop: The Sully Campaign, 1864'' ''Montana: The Magazine of Western History'', Vol. 16, No. 3 (Summer 1966), p. 29〕。
サリーは1864年7月7日には現在のノースダコタ州のミズーリ川沿いにライス砦を基地として構築した。そこからは、2,200名を率いてダコタ準州西部に入った。7月28日に起きたキルディア山の戦いでは、約1,600名のスー族戦士集団を破った。この戦闘の後、スー族はその女性や子供を連れてキルディア山の西にある悪地に散開した。そこは現在セオドア・ルーズベルト国立公園の南部が入っている場所の近くである。ダコタの悪地は「深く通り抜けがたい谷」と「高く岩がちな丘」が特徴である〔United States War Department. ''The War of the Rebellion: a Compilation of the official Records of the United States and the Confederacy'', Series 1, Vol 41 (part l), p. 135〕。
サリーは食料に不足するようになっていたが、スー族の追跡を継続すると判断した。ブラックフット族の偵察が、サリーの輜重隊でも通り抜けられる悪地を通る道を知っていると言っていた。サリーとその部隊は休息後に、前方に広がる見知らぬ土地に踏み込むことになった〔Clodfelter, pp172-176〕。その目標は悪地を抜けてスー族の追跡を続けることであり、また北に行軍してイエローストーン川に達すれば、食料を満載した2隻の蒸気船が待っているので、補給を行うことだった〔Clodfelter, p. 178〕。サリー隊はハート川を上流に向かい、8月5日に悪地に入った。「限りないように見えた平原に沿って1分間回り込むと、次の兵士と馬は狭い峡谷と邪悪な斜面の迷路に迷うことになった」サリー隊と共に金採鉱者とその妻や子供たちの荷馬車隊が同行していた〔Barsness and Dickinson, p. 27〕。
ラコタ族の指導者シッティング・ブルは、悪地の戦いに参加したインディアンをハンクパパ族、サンサルク族、ミニコンジュー・ラコタ族、ヤンクトナイ族などと記していた〔Clodfelter, p. 186〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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