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弘農 ( リダイレクト:弘農郡 ) : ウィキペディア日本語版
弘農郡[こうのうぐん]

弘農郡(こうのうぐん)は漢代から唐代にかけて河南省に設置された郡。前漢の時代が最も管轄地域が広範である。現在の河南省西部に位置する三門峡市南陽市西部及び陝西省商洛市を管轄し、長安から洛陽間の黄河南岸に位置し、古代より政治・軍事の要衝とされた。
前113年元鼎4年)、漢武帝により函谷関付近に弘農郡が新設され、郡治が弘農県(現在の三門峡市霊宝市北東)に設置、下部に11県、118,911戸、475,954人を管轄した。後漢から三国時代にかけては、現在の商洛市に相当する地域が京兆尹に移管され、晋代には郡南部に上洛郡が設置され、行政範囲は現在の三門峡市の範囲に縮小している。南北朝時代に一時恒農郡と改称されたが、隋代に再び弘農郡に復し、郡治は弘農県南西の現在の霊宝市に遷され、黄河沿岸の地域が管轄から除外されている。582年開皇2年)、弘農郡は廃止となり、管轄県は東義州に移管された。
603年大業3年)の郡制施行に伴い再度弘農郡が設置されたが、管轄範囲が大きく異なる別行政区画である。詳細は虢州を参照のこと。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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