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広南阮氏 : ミニ英和和英辞書
広南阮氏[うじ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [みなみ]
  1. (n,vs) South 2. proceeding south 
: [うじ]
 【名詞】 1. family name 2. lineage 3. birth 

広南阮氏 ( リダイレクト:広南国 ) : ウィキペディア日本語版
広南国[かんなんこく]

広南国, 廣南國(かんなんこく、クァンナムこく,
1558年1777年)は、ベトナム後黎朝中期~後期において、重臣の広南阮氏が現在のベトナム南部に築いた半独立国家。阮氏広南国(げん / グエンし - )、あるいは広南朝( - ちょう)とも呼ばれる。
== 概要 ==
黎朝中期、莫登庸(マク・ダン・ズン、Mạc Đăng Dung)が簒奪王朝の莫朝を開くと、黎朝重臣であった鄭氏と阮氏は王朝回復のための兵を起こした。しかし回復軍のなかで鄭氏が権力を専横していった結果、阮氏は南に追放され〔石井・桜井(1985)では自ら逃れたとしている。〕、事実上の南部の王として200年に亘り振舞うことになった。この半独立国が広南国である。当時の口語では「ダンチョン()」、外国からは「広南」と呼ばれた〔。表向きには黎朝に従い、独自の皇帝・年号こそ建てなかったが、皇帝を擁する鄭氏とは幾度も戦火を交え、周辺国からは事実上の独立国として扱われた。彼らの長期に亘る南部支配は、チャンパカンボジア王国に対するベトナムの南進を推し進めた〔Andrew David Hardy, Mauro Cucarzi, Patrizia Zolese(2009), p61"Vietnam's southward expansion as it took place before the period of the Nguyễn Lords ..."〕。
広南国そのものは18世紀末に滅亡するが、後裔の阮福暎がのちにベトナム最後の王朝・阮朝を興したため、広南阮氏の一族は後世になって多くの諡号を得た。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「広南国」の詳細全文を読む




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