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幽霊はここにいる : ミニ英和和英辞書
幽霊はここにいる[ゆうれいはここにいる]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

幽霊 : [ゆうれい]
 【名詞】 1. ghost 2. specter 3. spectre 4. apparition 5. phantom 
: [れい]
 【名詞】 1. soul 2. spirit 3. departed soul 4. ghost 

幽霊はここにいる : ウィキペディア日本語版
幽霊はここにいる[ゆうれいはここにいる]

幽霊はここにいる』(ゆうれいはここにいる)は、安部公房戯曲。3幕18場から成る。安部の前期演劇の頂点をなす作品である〔清水邦夫「解説」(文庫版『幽霊はここにいる・どれい狩り』)(新潮文庫、1971年)〕。戦友の幽霊が見えるという不思議な男と出会った中年男が、「死人の写真 高価買います」というビラを町中に貼って始めた珍商売の喜劇的物語。ユニークな状況設定と通行人をミュージカルコーラスに使うなど、シュールな手法を駆使した諷刺幻想のドラマ構成で、幽霊商売が巻き起こす町の混乱がリズミカルに描かれている〔「カバー解説」(文庫版『幽霊はここにいる・どれい狩り』)(新潮文庫、1971年)〕〔安部公房「稽古場にて――安部公房・千田是也氏にきく」(俳優座 1958年6月・No.3号に掲載)〕。
1958年(昭和33年)、白水社雑誌『新劇』8月号に掲載された。同年6月23日に田中邦衛主演により俳優座劇場で初演され〔1970年(昭和45年)3月には、登場人物など一部改稿された改訂版が、初演と同じく田中邦衛主演で上演された。〕、第5回(1958年度)岸田演劇賞受賞。単行本は翌年1959年(昭和34年)6月15日に新潮社より刊行された。翻訳版もドナルド・キーン訳(英題:The Ghost is Here)をはじめ各国で行われ、東ドイツルーマニアモスクワなど海外各国でも上演されている〔「作品ノート」( 『安部公房全集 8 1957.12-1958.06』)(新潮社、1998年)〕。
== 作品成立・主題 ==
安部公房は、『幽霊はここにいる』の成り立ちについて、「幽霊という観念、というか、観念としての幽霊というか――それがだんだんつきつめられていって、ひどく物質的な幽霊になった」とし、現代の世の中の動きが、すべて「商品価値というものに解消していく」状況に触れつつ、そういう動向のなかに、はまり込んだ幽霊、つまり「実体のない純粋な商品」のことだと説明し、「じつにナンセンスな世界だが、これが現実でね。そこから人間が結局はのがれていないんだということを、一度洗いだして客観視してみようということでね」と説明し、以下のように語っている〔。
また、通行人をコーラスに使っている点については、「物体としてのリズムみたいなもの」が頭にあり、ミュージカルらしくないミュージカルというものを意識したと述べている〔。
さらに安部は、作品内で活躍するのは必ずしも一人だけの幽霊ではないことが分ってもらえるだろうとし、その無数の様々な種類の幽霊たちが、各人の思惑でそれぞれに活躍する様相は、実際この世が、「無数の幽霊たちで充満している」という意味だと説明し、しかし「素朴な合理主義者たち」は、それを〈正体みたり枯尾花〉などと言って、幽霊を軽蔑することを例にとりつつ、「枯尾花はけっして幽霊の正体ではない。樹氷のシンが木の枝であっても、木の枝はけっして樹氷の正体ではないように、枯尾花も幽霊の単なるシンにすぎないのである。幽霊の正体は、もっと複雑なものだ」と主張し、作品主題の〈幽霊〉について以下のように語っている〔安部公房「作者のことば――『幽霊はここにいる』」(俳優座第44回公演パンフレット、1958年6月23日。他再演パンフレット)〕。
演出を担当した千田是也は、芝居の仕組について、「はじめ幽霊というものが歴史的、人間的な意味をもっていたのに、そういう実体的なものが希薄になって、商品としての機能の方がどんどん膨らんでしまう」と述べている〔安部公房(千田是也との対談)「『幽霊はここにいる』再演」(俳優座雑誌「コメディアン」1970年2月1日・No.214号に掲載)〕。安部はそれを敷衍し、登場人物の深川の空想の中において、「幽霊が意外にリアリスティックな欲望を持っていく」という点に、「人間と人間の関係、どっちが先かという問題の暗示」、「関係のない人間はいない」ということがうまく芝居に出ればいいとし〔、人間関係の作り出す幽霊の変質、実体がなくなりながら力だけが強くなってゆくという風に、「幻想を再生産する力」を幽霊がもっていると説明しながら、以下のように語っている〔。
なお、『幽霊はここにいる』は、1957年(昭和32年)5月頃に執筆された未発表小説『人間修行』と、同年12月頃にそれを戯曲化した未発表戯曲『仮題・人間修行』(メモ)を発展させた作品であるという見方もある〔高橋信良「鏡の中の鏡――安部公房の演劇論 II」(千葉大学言語文化論叢、1999年3月)〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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